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考察
孔子の教えである、『儒教』には、『性善説』という概念がある。孔子の教えを源として、弟子の孟子が、その概念を確立させた。wikipediaにある『孟子の説』はこうだ。
孟子が生きた時代は人の本性についての関心が高まり、「性には善も悪もない」とする告子の性無記説(または性白紙説)や「性が善である人もいるが、悪である人もいる」とする説、「人の中で善悪が入り交じっている」とする諸説が流布していた。これらに対し孟子は「性善説」を唱えた。これは孔子の忠信説を発展させたものとされる。
アリストテレスは、
と言い、仏教の開祖、ブッダは、『身分差別の完全否定』をしたが、彼ら賢人の考えの根幹にはとにかく、『意志、人格の尊重』がある。
という記事を書いたが、
- 悪
- 悪魔
- 魔性
- 煩悩
呼び方は何でもいいが、とにかくこれらに支配されている人間は醜く、とても『人間』の称号には相応しくないことが見て取れることがある。
しかし、その一方。ほのぼのとして、心が和らぎ、満たされ、満悦し、充足してしまう、あるいは感動に溢れてしまう、ワンシーンを目にすることもある。それはまるで、この答えのない混沌とした暗闇に、一輪の花が咲き、一片の光が差した、瞬間である。
人間の心にはこのようにして、天使と悪魔が共生している。
ドストエフスキーは言った。
この戦いのことを、イスラム教では『聖戦』と言う。聖戦は、一部の狂信者が思っているような人殺しを正当化する考え方ではない。
この戦いに勝ったとき、それは『自分の中でほんとうにいいこと』をしたときである。例えば、目の前で困っている人を見てみぬ振りできるとき、当然、見てみぬふりをした方が自分にとって『楽』である。触らぬ神に祟りなし。無難な選択肢を取って、安全な道を通るためには、その問題に蓋をして、見なかったことにすればいい。その方が楽だからだ。
だが、聖戦によってその悪魔のささやきに打ち克った時、人はその人を助けることができる。自分の利益を後回しにし、利他的に行動する。これは実に、『ほんとうにいいこと』だ。自分の中の天使も喜んでいる。そして、その行動は自分の親や子、どこの誰に見られても恥ずかしくない。過去、未来永劫の圧倒的な時間の規模において、誰に見られても恥ずかしくない。そういう正々堂々とした人生を生きなければならない。それこそが最も人間が幸せになれる生き方だからだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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