名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
『風浪(ふうろう)』とは、風が巻き起こした波。風と波のことである。例えば『生老病死』だ。
これはブッダの言葉の超訳として書いた記事だが、
- 生:生きること
- 老:老いること
- 病:病を患うこと
- 死:この世を去ること
これを避けることなど、現実逃避なのである。
特に一番上の『生きること』というのはどうだ。ここから目を逸らす人間は、決して稀ではない。まず当社の部下がそうだ。彼が5年前に言ったのはこの一言だ。
…なんという愚かな発言だろうか。彼は下を向き、目をそむけながらそうつぶやき、あるいは違う場面では、
等と言うではないか。
自分の兄を幼少で事故で亡くしたかなんだか知らないが、まだ目と耳と手と足があるではないか。それが無い人たちへの侮辱行為である。
アメリカの小説家、ヘンリー・ミラーは言う。
人生から目を逸らす人間の罪は、思っている以上に重い。
アリストテレスは言う。
彼も含めたそういう人は、『恩恵』を受けられない。『賜物』を得られないのだ。
その答えは、聖書の『伝道者の書 5章』にある。
『見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』
私だったら亡き兄の為に、二人分の賜物を受けられるような生き方をして、あの世で堂々と兄と会い、握手を交わす。もちろんあの世などない。そして部下もそう思うからこそ、手を抜いて、悲観視し、人生を棒にふるうのだろう。だが、『あの世などない』と同じように思う私と部下との差が、どうしてこうも開くのだろうか。それは一言、『誠実さ』があるかないかだ。私が誠実だということではない。しかし、彼は私よりも不誠実なのである。だからこそ監視カメラも集音マイクもついていない『裏』でやりたい放題にやり、自堕落な行為に走ってツケを溜め、自ら自分の人生の足を引っ張っているのだ。
もし、そこに『兄の目線』を感じることができたのならどうだろうか。兄の命を本当に尊重しているのなら、彼の分まで二人分の人生を必死に生き貫くことを覚悟するはずだ。しかしそれができない。それならば、『兄を想って憂う』ようにふるまう彼は偽善者であり、とんでもない悪党だ。醜く、汚い、愚かなバケモノである。決して人間ではない。人間という称号にふさわしい生きざまではない。
御木徳近は言った。
兄は死んだ。私の父も死んだ。いずれ彼の他の家族も死に、私の家族も死ぬ。そして次は自分の番だ。避けることはできない。それは最初から決まっていたことだ。だとしたらこの人生をどう生きるべきか。それを考えることができるのも、生きているからこそだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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