名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
『愛』というものを真剣に考えた時、『愛は与えるもの』、『恋は奪うもの』、だということに気が付いた。しかし私はプライドの塊のような人間で、人に自分の人生の手綱を握らせることは絶対にないと、常日頃から固く心に決めている。これには幼いころから、キリスト教を強要されてきた家庭環境が大きく関係していると言っていいだろう。
そういう人間の心に鳴り響く声は往々にして、
(この意志は、何のためにあるんだろう?)
だ。意志を無視され、殺される。これは、殺人ではないのだろうか。この意志を捨てて、何かこう、意志のないロボットになるか、からくり人形、操り人形の様な存在になる様に仕向けることは、殺人行為に等しいのではないのだろうか。
三島由紀夫は言った。
『規矩(きく)』とは物差し、考えや行動の手本等という意味。『熱誠(ねっせい)』とは熱情、まごころ等という意味。つまり、親でも何でもいいが、ごく少数の物差し、あるいは愛の形から『外れる』と、まるで(お前は人間ではない。お前はうちの子供ではない。)という雰囲気が辺り一面に漂い、時には、まるでどうしようもないろくでなしの犯罪者のようなレッテルを貼られる。
(こんなことがあっていいのか。)
(意志を殺すことは、殺人ではないのか。)
(この意志は、捨てるために存在しているのか。)
(何のために人は、自分は、この世に生を受けたのか。)
意志を制圧され、『違う意志』を強要された人間の自我は、こうやって加速度的に膨張、増大し、私の様な『プライドの高い(意志のハッキリとした)』人間の、人格が形成されるのだ。そんな私は、とある女性に『理不尽』な別れ方を迫られた。当然、この高いプライドと男としての意地が、絶対に未練がましく追いかけることを良しとするわけがない。一度決めたらもう二度と後戻りしない性格だ。それに、女々しく未練がましい行為は絶対にしない。だからこそ、その判断は頭を悩ませた。
(一体どうすれば、愛の形を示せるのだろうか。)
私が自分の生き方を変え、彼女に合わせれば、別れることはないかもしれないという考えが頭をよぎった。しかしそれをすることは、私のプライドが許さないのだ。私がこの意志を捨てられるのであれば、私は、両親の言うことを聞いて、クリスチャンになっているのだから。彼女はどこか、この頑としすぎた私の生き方に、窮屈さを覚えていたような気配も漂わせていた。
(『これが俺なんだ』って、そんな風に言われたら、もう私は何も言えなくなるじゃん。)
実際に彼女がそう言ったセリフが、何となく記憶の片隅にあったことも思い出した。そしてその言葉の根幹にある、
(私には意志があるのよ。)
という心の叫びが、かつて自分が叫んだ心の声と同じだと悟った時、私は自分のこの『プライド(意志)』が、『エゴ(わがまま)』である可能性を、知ったのだ。私がこのわがままを貫くと、確かに自分は変えなくて済むかもしれない。だが、私はふと気が付いたのだ。私は無意識のうちに、かつて親が自分に求めたような、『何でも思い通りになるからくり人形』を探し求めていたということを。
私が彼女の『意志を奪おうとしていた』のであれば、私は彼女に『恋』をしていたのだ。今考えるとあの時我々は、『恋』の次の段階である、『愛』のステージへと進もうとしていたのかもしれない。『何もかも』を与え、手放す『愛』というものは、こうも頑なな人間の心をも、見直させるのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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