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考察
これは非常に興味深い言葉だ。この手のテーマについて私は極めて造詣が深い。何しろ、小学生の頃から意識していたテーマである。私はよく、手柄を人に取られたものだった。しかし、小学生という自我も曖昧な頃、判断も未熟ゆえ、その問題は宙に浮き、闇に消えて、あるいは捏造されることがほとんどだった。だが確かに『違和感』として記憶に刻み込まれ、今もこうして覚えているのだから、間違いないのだ。
だが、あまりこれは公言できることではない。『手柄を取られた』などと、アメリカでは当たり前だが、『恥の文化』が浸透するこの日本という国では、その行為に対する『恥』がある。何しろ『粋』という心意気があって、
(別に、手柄を取られてもいいじゃないか。)
という懐の深さが、人間の器を決めるという考え方があるのだ。そんなこんなもあって、私は実に20数年間、この『誇示』と『自己主張』の違いについて悩まされ、これまた宙に浮かせて漂わせ、曖昧のままにしていた。しかし、人生を前に進めていくと、どうもその『違和感』が肥大化していき、見て見ぬフリが出来なくなってきたのだ。
そんなあるとき、『心のブレーキの外し方』という本にこう書いてあったのを見た。
あなたがプラスに成長することを、無意識的にでも邪魔してくるような人たちは、そもそも”友達”と呼ぶに値しないのです。
なるほど。私はまるで『ピエロ』だった。
ここにあったのは、ピエロのパラドクスである。
パラドクス=逆説。
つまり、友を失うまいと思ってヘラヘラして媚びへつらって、あるいは『違和感』を隠蔽して同調、追従し、調子を合わせていた。しかし、実際はそれをするたびに周囲からは(八方美人め)と思われ、あるいは(こいつは人を楽しませるのが好きでやってんだよな)と誤解され、あるいは本当の顔をさらけ出さないことによって本当の理解者と出会う機会を、損失してしまっていたのだ
イプセンは言った。
イチローは言った。
本当の友人とは何か。いや、確かに前述したような人間が、人間の大多数を占めている。人間とは最初から、いや、恒久的に、愚かで未熟な群衆の一人一人なのだ。だが、友人に対する理想が高いことは、むしろ矜持である。
『自分が努力して名をあげる望みのない者は、人が自分の位置まで落ちるのを喜ぶ。』
つまり私は、『自分で努力して名をあげる望みのない者』からよく『嫉妬』され、その手柄を取られたり、あるいは自分のいる位置にまで引きずり降ろされそうになった経験をたくさん持っている。彼らは決して『友人』ではない。友に該当するような行動を取らなかったからだ。しかし、だとするとこの世に『真の友人』など一人もいないことになる。人間は皆自分勝手だ。自分の成長を純粋に喜んでくれるのは、実の親以外には思い当たらない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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