名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
運営者
考察
天使と悪魔。
秩序と混沌。
正義と不義。
善玉菌と悪玉菌。
光と闇。
白と黒。
確かにそれは、どこを見渡してもあって、誰を見たとしてもある。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。
更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
ここでいう『獣の様な側面』は、『魔性』のことであり、『優しくて親切な側面』は、『聖性』のことである。我々の腸内で言えば、悪玉菌が優位になる時、下痢や便秘等の症状が出て、『異常』となる。『正常』でいる為には、善玉菌を優位にする必要がある。これは、人間の精神における、秩序と混沌、聖性と魔性においても同じことが言えるのである。もし、『長く生きる初期設定』がなければ、『魔性』や『悪玉菌』が優位になることは、本当に『異常』なのだろうか。それとも、必然なのだろうか。
いや、しかし、カントの言うように、
他の自由を奪ってしまうことは、許されることではない。だが、この話を単なる『バカで単細胞の戯言』と言い捨てられないのは、なぜなのだろうか。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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