名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
緊張がないだけの空間なら、至る所にある。何しろ人間は、ストレスが嫌いなのだ。だからそれを本能的にでも避けようとし、慣れあい、烏合の衆、同調、追従といった『自殺行為』に甘んじようとする。
エマーソンが自身のエッセイ『独立独歩』で言っているのはこうだ。
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』
それらの行為は『意志の放棄』に等しい。それはつまり、『死』に等しいのである。
美輪明宏は言った。
我々は人糞製造機ではないのだ。SEXマシーンでもない。『人間』なのであり、人間とは、『意志』を持ち、そしてそれぞれが持つそれは、唯一無二なのである。そのことについて一度立ち止まって、考え抜かなければならない。思慮を放棄した無責任な烏合の衆がいる緊張感のない空間。そこにあるのは『平和』ではなく、『地獄絵図』だ。作家の五木寛之は著書『大河の一滴』でこう言っている。
『地獄は、場所ではない。それら(※負の連鎖を断ち切ること)が出来ない執着にまみれた醜い人間が生活する世界のことを、地獄という』(中略)そして、その『地獄』から抜け出すために、解放されるために、 『真理』や『信仰』の力を借りる。宗教とは、そんな地獄に差す一片の光である。
『見て見ぬフリ』をする、『間違った欲望の処理』をする、そんな人間が作り出せるのは、せいぜい『地獄絵図』だ。もっと言えば、『緊張がない』ということなどあり得ないのだ。常に、人間は心の中で闘っているはずである。聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。
『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』
つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。
その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。
『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。
これらの事実を隠蔽し、緊張がないなどと言う人間は、ただの人糞製造機だ。常に闘うべき義があり、正義がある。それが人間の宿命であり、別にそれは負荷ではない。むしろ、人間が『人間』になるための、登竜門である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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