名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!
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考察
自分の理想を、大切な友人や恋人、あるいは片思いする人に重ね合わせてしまう。こういうことは、人間にはよくあることである。どれだけのファンを魅了できるかということを生業にしている職業なら、あえて私生活をミステリアスにし、ファンの理想と妄想の邪魔をしないようにし、がっかりさせてファン離れしないような動きを取ることは稀ではない。
松田優作も、
と言ったが、妄想がエスカレートして、ファンが『やらかし』に豹変したり、好きな相手が忘れられなくて『ストーカー』に変貌してしまうことも稀にある。彼ら、彼女らはまるで、サン・テグジュペリの言う通りだ。自分の『所有物』の様に相手を扱うその様子はまるで、『執着』そのもの。彼らは好きすぎて、自分と一心同体化させてしまったのだ。そう考えれば、その身体の一部が離れていくことに耐えられないだろう。
自分の手足が切り取られることに対し、何も動じない人間はいない。例えば、『阿部定事件』というものがあった。
阿部定事件(あべさだじけん)とは、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。定は逮捕されると「私は彼を非常に愛していたので、彼の全てが欲しかった。私達は正式な夫婦ではなかったので、石田は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した…」なぜ石田の性器を切断したかは「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼の側にいるためにそれを持っていきたかった」と供述している。
『Wikipedia』▲
しかし、相手は自分の身体の一部ではない。所有物でもない。自分の欲望を間違った方向に向けてしまうことは、『罪』である。例えばキリスト教の『7つの大罪』にはこうある。
- 傲慢
- 強欲
- 暴食
- 色欲
- 嫉妬
- 憤怒
- 怠惰
また、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
彼らの『罪の定義』は、
- 孔子=利己
- ソクラテス=無知
- ブッダ=執着
- キリスト=罪
ということになる。キリストの罪の定義が『罪』というのはどういうことかいうと、罪と言う言葉を紐解くと、ヘブライ語の『的を外す、的を取り違える』という言葉に辿りつき、つまり『欲望を間違った方向に向けてしまう』ことを、罪だと定義しているのである。『利己』的な『無知』が故に、『執着』して『欲望を間違った方向に向ける』。ここで挙げたような彼らは、まさに『罪』そのものに自分を支配されたのである。
ちなみにこのブッダは、
として、『それが出来ないなら私の弟子ではない』と言っているのだから、別に、身体の一部だとしてもそこに執着しないことは出来るのである。自分の考え方をもっと深めて、有意義な人生にしたい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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ゲレルト『ほがらかに死んでいくために、私は生きようと思う。』 セオドア・ルーズベルト『賞賛に値するのは、実際に行動した人物であり、汗と血でまみれ、勇敢に戦い、何度も間違いを犯して成功にまで手が届かなかった人物であり、熱意をもって身を捧げ、有意義な目標に向かって全精力を使い、たとえ失敗したとはいえ果敢に挑戦した人物である。』 永守重信『異端者を評価しない会社も問題です。ちょっと変わった人間が世の中にないものを生み出している。』