三木清『感傷には常に何らかの虚栄がある。その2』
日本の哲学者 三木清(画像)
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考察
『感情』ではなく、『感傷』である。感傷とは、心をひどく痛めたり、悲しんだりすることである。
つまり、全ての人間に『感情』がまずあってそれが『傷ついた』と感じる人と、そうでない人がいたことを考えればわかるが、別に、それを『苦ではない』と思えば苦ではないし、『楽しい』と思えば楽しいわけで、だとしたら、『感傷』とは、『感情』に対する過剰反応であることがわかるわけだ。
トゲが刺さって血が出た時、ひどく感傷的になる人がいる。それは、『自分は、血が出るようなことはしていない』というような、そういう方向の覚悟しか固めていなかった。
従って、実際にそういうケースに直面した時、つい感傷的になってしまうのである。 (なぜ私がこのような目に遭わなければならないのか…!!)
『虚栄』とは、実質のない上辺だけの栄誉という意味。感傷的になる人は、『自分こそはこういう人物である』という自負があって、その牙城を崩すべく境界線を越えて来る一切の出来事に対し、過剰に反応しているのだ。
最初から、『そんな城などない』と言う、竹を割ったような性格の人は、潔くその事実を受け止め、サバサバした印象を他に与えながら、何の虚栄にも浸ることは無い。
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著者:一瀬雄治(Yuji ichise.)
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三木清『感傷には常に何らかの虚栄がある。その2』
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