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リチャード・ニクソン『まず真実に忠実であることを誓おう。あるがままを見て、そのままを伝えよう。そして、真実を見つけ出し、真実を語り、真実を生きよう。これこそ、これからわれわれが行うことだ。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

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考察

それが出来れば苦労はしない。私も、この世界がそういう世界だったらとても住みやすかった。しかし、この世界はそういう純白の世界ではない。多種多様な色が混じりあって、しかもそれが『多様性』として正当化され、まかり通っているのだ。

 

 

そもそも、『何が純白か』ということを知っている人が少ない。少ないどころか、下手すれば、いない。この人類の歴史の中で、真の純白がなんであるかを知っている人は、いない可能性が高い。『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

彼らはどうだ。『純白』か。どれほど純白なのか。キリスト教を世界宗教にさせた『パウロ』はどのように影響しているのか。ブッダはどうだ。

 

この境地が『純白』であると確信する者はどれだけいるのか。ソクラテスは言った。

『わたしは、善いことかもしれない死を、はじめから、よくわからないのに恐れて逃げることは絶対にしない。』

 

『かもしれない』、『よくわからない』と言っているソクラテスは、どれだけ『純白』について理解していたのか。道教の創案者の一人、老子はこう言った。

 

そもそも『仁義』という概念を人間が謳うようになったのはそれを掲げて依存して、道標としなければならなかったからであり本来、別に必要なかった。孔子は言った。

 

つまり儒教の教えは、

『徳による支配の為、支配者がしっかりしていれば、法律など必要ない。』

 

というものであり、人間に主体性があり、意志を大事にする矜持があるなら、国家や法律といった外部要因に依存する必要などないのだ。

 

では、老子、孔子、つまり道教、儒教の教えは、どこまで『純白』なのだろうか。そしてそれが本当に純白なのであれば、なぜこの世に『法律』や『仁義』が存在するのだろうか。真実を見つけ出し、真実を語り、真実を生きる。それが出来れば苦労はしない。私も、この世界がそういう世界だったらとても住みやすかった。しかし、これだけの偉人が生きて、その全てに説得力があるのだ。だとしたら『真実』とは『純白』ではなく、むしろこの『多様性』なのかもしれない。

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

 

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