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考察
病気と言っても色々あるが、例えば私の例で言うと、持病に口唇ヘルペスを患っているわけである。ストレス、疲労、日焼け等によって免疫力が下がると、体内に潜んでいるヘルペスウイルスが口元へ降りてきて、皮膚を食いつぶし、そこが腫れ上がってしまうという症状だ。
最初に発症したときは15歳の時。確かに、普通で考えればあり得ないような環境を強いられ、精神的負担が強くのしかかったと言えば、そうだった。しかし私は、両親から物心ついたときから常にクリスチャンになることを強要されていたので、何がストレスで、何が苦痛かがよくわからないような状況だっただろう。つまり、その状況はそれらの精神的負担よりももっと過酷な状況だった。その前に、厳冬の季節に一文無しで2週間家出をしているが、その時も別に発症していない。15歳のその時に、痒みを感じて、それが発覚したのだ。
それからというものの、私は過度なストレスに敏感になるようになった。父親が肝臓がんで死んだことも手伝って、ストレスを過度に負うことは、自分の命の危機に近づくことを意味すると考え、ストレスの緩和や、心身のリフレッシュに人一倍気を遣うようになった。サプリメントでビタミンもたっぷり摂るし、もちろん食事も摂る。睡眠をちゃんと取れないと嫌だし、風呂やマッサージが大好きである。スパや映画には、週一、月一で行く生活が何年も続いている。仕事も人一倍するが、しかし仕事と遊びの境界線をなくしているし、ワークライフバランスではなく、ライフバランスだけを気にするようにしている。全てはライフ(人生)で起きている現象だからだ。
さて、ここまでの私の生き方を見ると、病気が私の意志を下向きなものに足を引っ張っている、という印象は受けない。むしろ私は、それを『気にしない』ことを意識することで、人一倍活動的になり、人生が充実しているのである。
この間、またヘルペスが発症した。理由はわかっている。炎天下で激しいミット打ちの練習を久々にやった後に、お風呂にある日焼けカプセルに入ったからだ。疲労、ストレス、日焼け。この三拍子を揃えることは、まるで湿った切り株に、キノコが生えるスプレーを吹きかけるようなものだ。だから発症した。そして、確かに一瞬(あまりストレスをかけないで生きていこうかな)という発想が頭をよぎったが、しかし次の瞬間、年齢の若さも手伝って、
(いや、あえて来週も、再来週も、その次もずっとこのスケジュールでやろう)
と思い立ち、休養必至のまだ完治しない身体で、そのスケジュールを強引にこなした。すると、最初よりも慣れてきてハードなトレーニングになっているというのに、ヘルペスは新しく出てこない。つまりそれは、前回の発症と治療の間の中で、私の免疫力が以前より強化され、
(これくらいの強度は、しばらくやっていなかったら予測していなかったが、やるならまた免疫の強度を上げるよ)
と言わんばかりに、『新しい生活モード』に身体が合わせて、免疫力が上昇したことを意味するのである。私はストレスにとても敏感である。その理由は前述した通りだ。しかし、あらゆる意味でそれを『気にしない意志』というものがあれば、病気は意志の障害にはならない印象を受ける。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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