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考察
マイケル・サンデルの著書、『これからの「正義」の話をしよう』にはこうある。
『人殺しに嘘をつくのは誤りか』
『これからの「正義」の話をしよう(P172)』
カントは嘘をつくという行為に非常に厳しい。『道徳形而上学言論』では、嘘は不道徳な行為の最たるものとしてやり玉に挙げられている。しかし友人があなたの家に隠れていて、殺人者が彼女を探しに戸口へやってきたら、殺人者に嘘をつくのは正しいことではないのか。
カントの答えはノーだ。真実を告げる義務は、どんな状況でも適用される。カントと同時代を生きたフランスの哲学者ベンジャミン・コンスタンは、このカントの主張に断固として反対した。コンスタンによれば、真実を告げる義務が適用されるのは、その真実に値する相手だけであり、殺人者はまかり間違ってもそうではない。
これに対してカントは、殺人者に嘘をつくのが誤りなのは、それが殺人者を害するからではなく、正しい事の原理に反するからだと反論した。『真実を述べることは、相手が誰であっても適用される正式の義務だ。たとえそれが本人や他者に対して、著しく不利な状況をもたらそうとも』(中略)…したがってつねに真実を語ること(正直であること)は、いかなる場合も認めず、つねに例外なく適用される神聖な理性の法則なのだ』
これは不可解で極端な態度に思われるかもしれない。われわれにはナチスの突撃隊員に、屋根裏にアンネ・フランクとその家族が隠れていることを告げる道徳上の義務はない。戸口にいる殺人者に真実を告げよというカントの主張は、定言命法を誤用しているか、その愚かさを証明しているかのどちらかのように思えるだろう。
普通に考えたら、カントの考え方は柔軟性がなく、『正直者が馬鹿を見る』事実を多く捻出してしまうことになる。だが、次の見解を持つことによって、その方向性はまるで変わってくる。
あなたが友人をクローゼットにかくまっていて、殺人者が戸口にいるという窮地に陥っているとしよう。もちろん殺人者の邪悪な企みに手を貸したくはない。それは大前提だ。殺人者が友人を見つける手掛かりになることは何一つ言いたくない。では何を言うか。選択肢は二つ。一つは真っ赤な嘘をつくことだ。
『いいえ、彼女はここにはいません』
もう一つの選択肢は、真実ではあるが誤解を招く表現を使うことだ。
『一時間前、ここからちょっと行ったところになるスーパーで見かけました』
カントの考えでは、後者の戦略は道徳的に許されるが、前者の戦略は許されない。
マイケル・サンデルは、この事実を非常に重々しく、シビアに言及している。だがそれは、『本』だからだ。真面目に書くのが本だ。しかしまるでこれは、『一休さん』である。あるとき一休さんは、『このはし わたるべからず』という橋に貼った貼り紙を見て、こういう行動に出た何をするのかと思いきや、あろうことか、堂々と橋の真ん中を歩いて渡って見せたのだ。
彼曰く、
カントが言ったのは、あくまでも『嘘をついてはいけない』、『真実を語らなければならない』だ。従って、後者の答えなら、それに該当しない。
だが、その後に激昂した犯人が、
と怒鳴り散らし、凶器を振りかざしたらどうだろうか。いるか、いないかの二択を迫られるのだ。だとしたら、カントの考え方では柔軟に対応できない。『いない』と言ったら、真っ赤な嘘をつくことになり、『いる』と言ったら、殺人に加担することになる。
ではその場合、一休さんならどうするだろうか。もちろん、『C案』を見出すだろう。今私が思いつくだけでも、『逆に犯人に襲い掛かる』か 『その場から全速力で逃げる』という選択肢がある。それなら、その犯人がアンカリング(勝手に固定)してきた二択の呪縛から脱却し、様々な倫理の網からも、抜けられるようになる。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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