老子『殺人を喜ぶような人は、人生の目的に達することはできない。』
中国の哲学者 老子(画像)
名言の意味を考えて、偉人の知恵を自分のものにしよう!
考察
『人生の目的』というのは、殺人をすることにはないわけだ。では、『殺犬』や『殺牛』、『殺鶏』や『殺豚』だったらいいのか、ということになるが、しかしそれも『喜んでやっている人間』がそこにいるならば、それは極めて高い確率で、間違っている可能性が高いわけだ。
やむを得ず、最小限の他の命を頂く。それは、他の動物たちを見ても皆同じようにやっていることで、自分達の命を繋ぐために最低限の殺生を行い、彼らの肉を食べる。その様なことなら自然の摂理に近いものがあるが、しかし、それを『喜んで殺生している』となると、話は大きく変わってくる。
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老子の言葉を自分のものにする
それに、人間の中には一切の動物の殺生を許さない、という思想を重んじる者もいる。その様な人々に関係するキーワードは精進料理であり、ベジタリアンである。
とにかく、殺生は基本として、善い事ではない。その中で、『無意味な殺生』となるならば、尚のこと善い事ではない。それはわかった。では、『人生の目的』というのは何だろうか。
まずここにある手がかりは、『殺人行為とは遠く離れた場所にある』ということ。例えば、子供の頭をなで、笑顔が溢れるシーンがある。動物の中でもそれは行われていて、親が子を舐めまわして、大切にするシーンがある。
かと思ったら、残虐なシーンもある。動物のそれは、生きていく為に必要最低限の行為かもしれないが、人間のそれは、単なる特権の乱用である可能性が高い。
この様にして人間は、『右にも左にも、好きな方向に、好きなだけ行ける』という特権を持っていて、しかし、そのどちらかの方向に行くと、『笑顔』と『幸福』が溢れ、その反対の方向に行くと、『絶望』と『虚無』が訪れる。
この様な、二つの方向を考えた時、極めて高い確率で、『人生の目的』というのは、『笑顔と幸福が溢れる方向』に進むこと、である可能性が高い。
従って、もし『殺人を喜ぶ者』がいるのなら、それは、その道の正反対の方向を歩いてしまっている可能性が高く、その道の終着点は、虚無である。
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著者:一瀬雄治(Yuji ichise.)
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