勇気/覚悟 名言
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人物:新島襄
何かの漫画にも『我が人生に一片の悔いなし』と言って生涯を終えるシーンがあったが、新島襄がこの言葉を言ったのも、人生の黄昏時だったという。
人物:親鸞
"『人のいのちは日々に今日やかぎりとおもい、時時(ときどき)に只(ただ)今やおわりとおもうべし。』古代ローマの詩人ホラティウスは言う。
人物:西郷隆盛
倒幕、維新に尽力し、木戸孝允と大久保利通とともに、『維新の三傑』として幕末に活躍した西郷隆盛。西郷の無私無欲な人間性は有名で、官僚たちが利権に走る中、ただ一人、贅沢とは無縁な生活を貫き通したのだ。
人物:西郷隆盛
『寧耐(ねいたい)』とは、落ち着いて耐え忍ぶこと。また、『急がば回れ』とは、急ぐときには、危険な近道より、遠くても安全な本道を通るほうが結局早い。という意味。
人物:西郷隆盛
堅い言葉で、重々しく聞こえるかもしれないが、実際にそういう人が目の前にいたら、まず間違いなく心を鷲掴みにされるだろう。
人物:孫文
民主主義、民族主義、民権主義の『三民主義』を発表し、 中華民国の臨時大統領となった孫文。革命によって失敗を繰り返しながら、新たな未来を築き上げていった。
人物:大山倍達
『牛殺しの空手家』の異名を持つ大山。だが、大山の生き方は『師・力道山を愚弄するもの』、『邪拳』、と揶揄されることも多かった。
人物:大山倍達
私が常々言っていることだ。『我々が生きているのはたった一度の人生だ。二度や三度あるものではない。
人物:大山倍達
私は6年前に友人の為に創った小冊子の中に、同じことを書いた。『ぜひ意見を言ってほしい。言わなければ認められることは無いし、否定されることも無い。』
人物:大山倍達
最後に残っているものに着目するべきである。それは『意志』だ。それが全ての根源であり、コックピットなのだ。それが左足を動かし、右足を動かし、左手を動かし、右手を動かすのだ。
人物:東郷平八郎
私は『コツコツ』と『地道な努力』という言葉が大嫌いで、それをずっとやらなかった。それは20代後半までずっと続いて、実際、30を過ぎた今でもそれは変わらないことである。
人物:湯川秀樹
『アイディア』というのはそもそも、ひらめいた時点で、アイディアである。だが、ときにそのアイディアは、ひらめいただけではだめで、
人物:湯川秀樹
エジソンはこう言い、『我々は何事についても1パーセントの100万分の1も知らない。』TOYOTAグループ創始者、豊田佐吉は言った。
人物:白洲次郎
ある日、吉田茂の側近に抜擢され、終戦連絡中央事務局参与となり、憲法草案、平和条約交渉等にかかわった。白洲は、敗戦に卑屈になる日本の高官や政治家を叱りつけながら、流ちょうな英語を武器にGHQと対等に渡り合った。
人物:白洲次郎
しかし、彼らは『臆病』なのだ。数が増えれば増えるほど、自分にのしかかる責任が軽微になる。責任転嫁しやすくなるし、名前を隠して顔も隠せば、『無敵の人』になる。
人物:白洲次郎
私には一切敵がいない。こんなに『出る杭』をモットーにしている人間が、なぜ敵がいないのかというのは、一見すると矛盾している。
人物:板垣退助
総理大臣として遊説中、短刀で数か所を刺された板垣退助。月日が経ち、出獄した加害者がのちに彼のもとへ謝罪に訪れた。板垣は言った。『あれは君の私怨から出たものではなく、国家を思ってのことだろう。
人物:板垣退助
総理大臣として遊説中、短刀で数か所を刺された板垣退助。月日が経ち、出獄した加害者がのちに暴漢に刺された後板垣はそう言い、退院後、謝罪しに来たその暴漢に、
人物:武者小路実篤
坂本龍馬は言った。『世の人は、我を何とも言わば言え。我が成すことは我のみぞ知る。』平賀源内は言った。『わがままに、自分のやりたいことに専念するために、脱藩したい』
人物:武者小路実篤
現代の経営の神、稲盛和夫は言う。『成功する人としない人との差は紙一重。』であると。ビビ『船でちゃんと学んだのよ!!諦めの悪さなら!!』ここにも書いたが、私は『コンコルドの誤謬』という合理的な判断も好きだが、それ以上に好きなのは、
人物:武者小路実篤
『不易流行』とは、変えるべきところは変え、変えないべきところは変えない、という教え、戒め、心構え、教訓である。まさしく武者小路実篤のこの言葉が指し示すものと同じだ。
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