友情/仲間 名言
人物:キケロ
それはそうだろう。我々人間は、まず『人間』という大きな一括りで『絆』を持っているわけだが、しかしそれは人間の中で最も弱く、脆い絆であり、同じ国、同じ学校、同じ会社、同じ町、同じ家族という具合に、自分との関連性が強ければ強いほど、その絆の強度は上がることになる。
人物:キケロ
そうしなければ、たちまちその『友情の絆』とやらは、切れてしまうことになるだろう。
人物:サミュエル・ジョンソン
私は、人に意見をされるのが大嫌いである。それは、自分の生い立ちが強く関係している。『信仰』を強要されたのだ。
人物:サミュエル・ジョンソン
つまり、とにもかくにも『誠実さ』が大事だということだ。それがあって初めて人から信頼され、信頼されて初めて、そこに堅固な人間関係が築かれる。
人物:シラー
まずはその通りだ。そしてそれは友人関係だけではなく、恋人や、夫婦、親子、家族においても、言えることである。一人で出来ることは限られている。例えば、パーティーをやることなんかはどうだ。
人物:スウィフト
慣れあい、傷のなめ合い。こういう言葉はよく耳にするはずである。彼らは、犬は、そのなめ合いについて、別に悪いと思っていない。
人物:セルバンテス
儒教の重要人物、荀子は言った。『その人を知りたければ、その友人を見なさい。』
人物:トーマス・フラー
小林多喜二は言う。『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』本当の友人ならむしろ、相手が言われて嫌がることを、率先して言うものだ。
人物:トーマス・フラー
だとしたら浮かんでくるのは『読書の節約』である。黒魔術で人を呪い殺す本を100冊読んだところで、身になるものはほとんどないだろう。従って、読書時間は節約できるのだ。
人物:プルタルコス
中国の詩人、李白がこう言い、『苦難と不幸のとき初めて、友人が友人だと分かる。明るい幸福の日々だけ続く友情が、何の役に立つものか!』
人物:安岡正篤
要は、そういう『メンター』、つまり、精神面を指導してくれる師匠のような存在は、普通、『いない』のである。それが、『いる』ということであれば、それは当然幸せなことだ。
人物:安岡正篤
たえず新しい友人を漁る人間が軽薄であることは、想像にた易い。そして、その状況が自分にとって順境でも、相手にとって順境でも、両方とも怪しい。
人物:シェイクスピア
この言葉から学べるのは、『敵だと思っている人間は実は味方であり、味方だと思っている人間は実は敵である』という考え方の転換だ。
人物:ジョン・レノン
自分の人生が一度しかないということを本当に理解した時、本当に人は、不毛な争いをしようと思うだろうか。それとも、もっと有効的に使おうと思い、違うところに目を向けるだろうか。
人物:タモリ
私もタモリがこの発言をするのは何回も見てきている。その度その度に、なぜ友達がいらないのか、という理由を説明しないタモリだから、何度かは、相手に反論されて首を傾げられ、タモリだけが偏屈なジジイに見えてしまい、終わってしまうこともあった。
人物:ニーチェ
違和感を覚える。妙だ。偉人の言葉を6000ほど向き合って内省してきた私が、この言葉に違和感を覚えている。ニーチェは一体どういうつもりでこの言葉を言ったのだろうか。
人物:ニーチェ
それらのポテンシャルがない人間でも、『友』を名乗っているはずだ。例えば、『小学校時代の友人』はどうだ。彼らは皆、自分たちのことを『友達だね』と言うわけだが、彼らが推察と沈黙に熟達しているとは思えない。
人物:高杉晋作
困難な状況の時でなければ、相手の本性は浮き彫りにならないことが多い。物事が上手くいっているとき、そこに群がってくるのは、往々にして表層的な要因に目が眩んだ人間であり、
人物:高杉晋作
『旧』は、古い、とか、昔ということであるが、古くからの付き合いの人や、昔からお世話になっている人、ということだ。これをないがしろにして、『義』を語ることなど出来るわけがないのである。
人物:野口英世
この当たり前の様に思えることを真剣に考えた時、確かにその意見は正しいもののように思える。私にも親、兄弟、弟子(部下)、友人がいるわけだが、私はこれらの存在と、完全に和楽出来ていない。
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