知性/知恵 名言
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人物:オスカー・ワイルド
少し揶揄した口調にも聞こえるこの言葉を聞いてすぐに思いつくのは、『馬鹿力』の実態についてである。
人物:オスカー・ワイルド
キリスト教の7つの大罪には、傲慢、強欲、暴食、色欲、怠惰、嫉妬、憤怒があるわけだが、これらは全て、『欲望を間違った方向に向けてしまった』結果であり、そう考えると、なるほど、わかりやすくてうなづけるようになっているのだ。
人物:オスカー・ワイルド
まさしくその通りだ。THE・その通りである。これ以上書くことは無い。だがあえてここに何かを書き加えるとしたら、
人物:オスカー・ワイルド
人生で教訓やことわざは、たくさん聞いたはずだ。幼少期にもう、学校の教師かテレビか親か、どこからかはわからないが、気づいたらたくさん知っているのだ。『犬も歩けば棒に当たる』とか、『猿も木から落ちる』とか。
人物:オスカー・ワイルド
人間が往々にして陥る心理現象のことだ。青年時代は自惚れていて、自分の力を過信している。中年時代に、それを再構築し直すべく、人生を再考する。そして老年時代に、人はこの世の一切の森羅万象との別れを惜しむようになる。
人物:オスカー・ワイルド
ほとんどの人々が、他の人々、という意味を一見すると、意味がわからないが、しかし、それはその後に続く『誰かの意見、模倣、引用』というキーワードを見れば、おのずと見えて来るはずである。
人物:オスカー・ワイルド
全知全能の人間か、純粋無垢の人間だ。だが、人は全知全能には絶対になれない。そして、完全無欠の清廉潔白にもなれない。だとしたら、人間には魅力的な者が皆無であるということになる。
人物:オスカー・ワイルド
実るほど頭が下がる稲穂かな。老いていくということは往々にして、人生の智恵が身についていくということ。それはつまり、実った稲穂のように、頭が下がる、謙虚な心が前になるということ。
人物:オスカー・ワイルド
軽薄な者が自らを知るということは、軽薄ではない者は自らを知らないということになる。どういう意味かというと、まずはグロティウスのこの言葉を見るべきである。
人物:オスカー・ワイルド
どういうことかという意味は、こういう言葉を見た時に浮き彫りになる。E・M・グレイは言った。『成功した人々は、失敗した人々がやりたがらないことをやる。』
人物:オスカー・ワイルド
今、その『読むに耐えない』ものや『読む人がいないもの』を提供する人間が減っている。その背景にあるのは、『いいね!』である。
人物:カエサル
オーストリアの詩人、リルケはこう言い、『およそ芸術家であることは、計算したり数えたりしないということです。』天才芸術家、岡本太郎は言った。
人物:カエサル
カエサルのこの言葉を理解する前にまず見たいのは、こんな言葉だ。ヴォルテールはこう言い、『あらゆる宗教のうちでキリスト教は、疑いもなく最も寛容を教えたはずの宗教である。しかし、現在までのところキリスト教徒は、すべての人間のうちで最も不寛容な人たちであった。』
人物:カエサル
カエサルの以下の言葉もすべて、同じテーマについて射ていると言っていいだろう。『人は喜んで自己の望むものを信じるものだ。』 『人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう。』
人物:カエサル
権威ある心理学者が言うには、人間は、何から逃げているかわからないことに恐怖を覚える為、その『何か』を一度自分の目で確認しようとする傾向があるという。
人物:カフカ
世の中とは、大河であり、時に津波だ。自分とはその、大河の一滴である。大河の一滴が大津波に勝てるわけがない。分をわきまえることが重要だ。
人物:カフカ
空は動く。しかし次なる未来は教えない。いや、教えるだろう。
人物:カフカ
『内なる』と書いていい。『内なる凍った海』に、『斧』が必要だということは、その斧で、凍った海を『割る』ということだが、だとしたら、その凍った海というのは、『割らなければならないもの』であり、
人物:ラッセル
そこに書いた、『国家における公的謝罪の難しさ』を考えた時、つまり『過去の日本人やナチス等が戦争でしてしまった不祥事』ということだが、それを考えた時、『それらは過去の先人たちのやったことだから、
人物:ラッセル
いや、科学が『常に知っていること』だとすれば、『研究における失敗』はあり得ないはずだ。
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