知性/知恵 名言
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人物:韓愈
『呑まれるな』ということだ。完璧な化粧をしていたり、高そうな衣服で整えていたり、屈強な肉体を持っていてたりして、凛として、毅然として、後光が射し、泰然自若としていても、頭を銃で撃たれたら死ぬ。
人物:韓愈
例えば、こんな言葉と一緒に考えてみる。『三流は金を遺す、二流は事業を遺す、一流は人を遺す。』そうすると、見えて来るのは、『馬=金』という図式であり、
人物:菊池寛
『慰み』というのは、心を楽しませること。『慰め』というのは、心を落ち着かせること。どちらにせよ、相手の心を落ち着かせ、楽しませるその心は、純粋無垢なものであり、清廉潔白なものでなければならない。そうじゃなければ、慰みでも慰めでもなく、違うものになる。
人物:串田孫一
期待しなければ、『裏切られた』と思うこともない。そんなことがわかる古典の一節がある。『『中国古典』の教え』の『史記』にはこうある。
人物:御木本幸吉
『私は真珠については、世界一のアイデアマンです。私たちが考え出したアイデアは、全部で三万件ほど。そのうち特許や実用新案にうかったものは、7000件です。しかし、その中で役に立ったアイデアは十数件、最後にまとまったのはただの一件です。』
人物:高山樗牛
この言葉の意味は、デカルトのこの言葉を考えた時に浮き彫りになる。『自然は人間を嫌う。』すべてはそこに書いた。
人物:高山樗牛
私は、虫が嫌い。しかし、その虫は虫で、自分たちの最愛のものを守っていて、あるいは、ニュルニュルと気味が悪いミズダコは、自分の子供を産んだと同時に、自分の命を追える。
人物:高山樗牛
金や権力だけが人間の価値を決めるのではない。自分の心に唯一無二の命を感じているならば、そこにあるのは一つの生命の完成である。
人物:始皇帝
アインシュタインは言った。『私は毎日、何百回となく自分の精神と肉体がすでに亡くなった人々や、生きている人々の労働によって支えられていることを思い返している。』アインシュタインは始皇帝の言葉の対象には入っていなかったようだ。
人物:松尾芭蕉
"つまり、登っては落ち、登っては落ち、を繰り返す月日というもの、また、去っては訪れ、去っては訪れ、を繰り返す年月というものは、まるで、永遠に旅する、旅人の様なものだということ。
人物:松尾芭蕉
松のことを知りたいのであれば、松に触れることだ。竹も同じ。それをしないのに、それを知ることは出来ない。机上の空論と実際は違う場合が多い。同じなら、実践などいらない。
人物:松尾芭蕉
古人とは、昔の人のこと。昔の、ここでは特に偉い人、偉人のことを指す。しかし、いくら偉人と言えど、その人と同じことをやっていては、その人以上になれない。
人物:真田幸村
新撰組局長、近藤勇は言った。『忘れてはならぬものは 恩義』『捨ててならぬものは 義理』それは『人間の生きる道』だ。それを忘れて、あるいはないがしろにした人間が歩いている道は、『道の外』だ。
人物:真田幸村
真田幸村が、徳川の引き抜き工作に遭った時の話だ。早い話が、エサたる報酬を引き上げていき、何とかして引き抜こうとしたのだ。しかし、真田幸村はそう言い、断固としてそれを拒絶した。
人物:正岡子規
『明治維新の改革を成就したものは、20歳前後の田舎の青年であって、幕府の老人ではなかった。何事によらず、革命または改良ということは、必ず新たに世の中に出てきた青年の力であって、従来世の中に立っておったところの老人が、説をひるがえしたために革命または改良が行われたという事は、ほとんどその例がない』
人物:正岡子規
そうじゃなければ、日本の世界遺産にも認定されている幾多の寺院や仏像や、西洋語で出来た会社、店、映画、それら全てのものが、日本のものではない、という発想になるわけで、そうじゃないから今、皆は普通にそれを行うし、自国の世界遺産として認定するのだ。
人物:ホラティウス
隣人の家が火事になれば、自分の家も危ない。だとすると、自分の家と隣人との間に引かれていた境界線は、有って無いようなものだったのである。
人物:ホラティウス
問題は、それが『良い』のか『悪い』のか、ということだ。多様性(ダイバーシティ)の必要性である。
人物:ウラジーミル・レーニン
イソップ物語にある『オオカミ少年』の様に、嘘をつき続けていると、ある事実が固着されてくる。
人物:ウラジーミル・レーニン
つまり『一時的』な効果を狙うのであれば、それもまかり通るだろう。ドーピングと同じだ。それで得た結果に虚しさを覚えないのであれば、そうした一時的な効果に頼ればいいだろう。
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