人生/生死 名言
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人物:アンドレ・マルロー
人が、人の気持ちを理解できるようになった最初のきっかけは、『痛みの共感』だったという。歩いていて小指をぶつけた。どこかの角にすねをぶつけた。
人物:アンドレ・マルロー
この言葉を理解しているかいないかで、人生の生き方には雲泥の差がつく。私は父を亡くしてそれを理解しているが、部下は兄を亡くしているくせに、そこから目を逸らしている。
人物:ウナムーノ
人生をどう正当化・美化しても自由だし、ステキな人生を、家族と幸せに過ごして、『お金などいらない。家族さえいれば。』という決め台詞に酔いしれても、別にいい。
人物:ウナムーノ
愛は、迷想(迷った考えや発想)によって生み出された産物であり、幻滅を生み出してしまう産物でもある。
人物:エラスムス
ネーデルラントとは、「低地の国々」を意味し、現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国を指す言葉である。この言葉にも私は随分力強い影響を受けた。
人物:オー・ヘンリー
ローマの哲学者、セネカは言う。『人生は物語のようなものだ。重要なのはどんなに長いかということではなく、どんなに良いかということだ。』 聖書、知恵の書 第4章にはこうある。
人物:オー・ヘンリー
『すすり泣く』のは、感動的なシーンだ。『泣きじゃくる』のは、打ちひしがされ、悔しくて、陥った時のシーンだ。『微笑み』も、感動的であり、楽しくて、そして自分の思い通りにいったシーンだ。
人物:オー・ヘンリー
『法則』というところがポイントだ。『好きなことを書くのが法則』で、それ以外の法則はない。そういう話はあまり聞いたことが無い。
人物:ジャン・パウル
この人生、『死』を考えられている人と、そうでない人とでは、 毎日の生きるエネルギーが違う。ちょうど、1000m走か何かの長距離走に似ている。
人物:スピノザ
新島襄がこう言うように、『私の胸中には一点の曇りもない。』 人生に一片の悔いを残さず生き貫き、命を使い切るためには、レオナルド・ダヴィンチの言うように、
人物:スピノザ
しかしスピノザはこうも言っている。『自由な人が考えるのは、ほかならぬ死についてである。そして彼の賢明さは、そこから死ではなく、生について熟慮を始めることだ。』
人物:スピノザ
スピノザはこうも言っている。『賢人の仕事は、いかに死ぬかではなく、いかに生きるかにある。』『自由な人が考えるのは、ほかならぬ死についてである。そして彼の賢明さは、そこから死ではなく、生について熟慮を始めることだ。』
人物:ノーマン・カズンズ
彼がなぜ『広島市の特別名誉市民』なのかは、割愛しよう。彼の高潔な人格が垣間見える、ドラマを知ることになるだろう。
人物:ハイデッガー
よく、『手が冷たい人は心が温かい。手が温かい人は心が冷たい人。』と言うが、あれに根拠はあるのだろうか。私はそれを説明できる。
人物:ハイデッガー
自分がいずれ死ぬ、ということから目を逸らしている人間は、現実逃避している。私は17歳の頃に父親が死んだが、宗教問題の影響もあって、親子間は常に半確執状態だった。私は、親に『死ね』と言い続けてきて、心でもそう願ってきたが、
人物:ハイデッガー
良心は、そこにある。ここにあるし、あそこにもある。しかし、それは佇んでいる。つまり語り掛けない。だが、眼差しはある。それが、良心という存在である。
人物:バイロン
バイロンは普通の人生を送っていた。詩集を発表するが全く売れない。よくあることだ。
人物:バイロン
バイロンがこう言ったのには理由が2つあって、まず第一に、『それだけ近い存在になった』ということ。
人物:ベン・ホーガン
人生が二度、三度あるなら、一度くらいは怠惰的で自堕落な人生を送ってもいい。つまり、ドイツの小説家、ジャン・パウル曰く、『人生は一冊の書物によく似ている。愚かな者はそれをパラパラとめくっているが、賢い者はそれを念入りに読む。なぜなら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを、知っているからだ。』
人物:ヤコブセン
ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセは言う。『馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。』
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