人生/生死 名言
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人物:国木田独歩
作家、山本周五郎は言った。『一足跳びに山の頂上にあがるのも、一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、結局は同じこと。むしろ一歩ずつ登るほうが途中の草木や風物を見ることができるし、一歩一歩を慥(たし)かめてきたという自信をつかむことができる。』彼らは同じことを言っている。内容もその記事に書いた。
人物:国木田独歩
『道に迷うことを苦にしてはならない。どの路(みち)でも足の向く方へゆけば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。』山本周五郎は言った。
人物:森鴎外
つまりこういうことだ。アインシュタインは言った。『私は未来のことは決して考えない。未来はすぐにやってくるのだから。』
人物:水戸黄門
確かに武士が行うのは、切腹だった。しかし、自殺と切腹とでは、意味が違うのだ。
人物:清少納言
私はある時期、夏になると冬の寒さに付随する、あの妙な心の感動が愛おしくなり、冬になると、早くあの最高の天気の下で、バカンスを楽しんだり、セミの鳴き声を聞きながら風情に浸りたい、と思っていた。
人物:清少納言
あっという間に過ぎ去るものを目にした人間の、率直な感想だ。問題は、その感想を抱いて、そしてどうするかということだ。
人物:石川啄木
だとするとそこにいるのは『人間』ではない。人間とは、地球上において、物を言って、考える唯一の動物である。
人物:田山花袋
感傷的になって、慰めを求めて、その慰めに対して大勢に人の支持を得ているものを見たことがあるが、だとしても私は、『慰め』を先行させるつもりはない。
人物:田山花袋
こんな言葉と一緒に考えたい。フランスの初代大統領、シャルル・ド・ゴールは言った。『剣は折れた。だが私は折れた剣の端を握ってあくまで戦うつもりだ。』
人物:島崎藤村
藤村は友人でもあり、戦友でもある作家、田山花袋のお見舞いで言った。重体で死期が近い病人に向かって、縁起でもない。
人物:島崎藤村
ゲーテは言った。『僕はどうやらこの世における一個の旅人に過ぎないようだ。君たちとてそれ以上のものだろうか?』エマーソンは言った。
人物:フジ子・ヘミング
こんな言葉と併せて考えたい。ウィリアム・アーネスト・ヘンリーは言った。『人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている。』
人物:日蓮
瀬戸内寂聴もこう言っているが、『人間は生まれてきたら必ず死にます。死ぬために生まれてくると言ってもいいでしょう。幸福が永遠に続かないように、命も永遠ではないのです。』そもそも、彼らの絶対的祖である、
人物:アンドリュー・カーネギー
『この道は一度しか通らない道。だから人の役に立つこと、人のためになることは今すぐやろう。先に延ばしたり忘れたりしないように。この道は二度と通れないのだから。』
人物:カミュ
ルソーが言う、『生きるとは呼吸することではない。行動することだ。』ということで考えると、『呼吸すること』とカミュの言う『生きていくこと』は違う。
人物:カミュ
私は数年前、『毎日の内省が10年後の熟成』の記事を書いたが、それがこのカミュの言葉の通りの意味だ。
人物:カミュ
トルストイは言った。『神は人間に額に汗して働けと命じている。銀行に金を積んで、何もしないで食べていこうとするのは人間の掟に反することだ。』これはどういう意味だろうか。
人物:カミュ
終わった? 別れた? 卒業した? 年老いた? 使い果たした? 燃え尽きた?
人物:カミュ
『真に重大な哲学の問題は一つしかない。それは自殺だ。人生を苦しんで生きるに値するか否かという判断をすること、これが哲学の基本的な質問に答えることだ。』
人物:カミュ
『最後の審判』とは、世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという、キリスト教の言い伝えである。
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