人生/生死 名言
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人物:ホラティウス
『享楽(きょうらく)』というのは、思うがままに堪能せよ、というような意味だ。
人物:貝原益軒
『寿ぐ(ことほぐ)』というのは、言葉に出して祝福するということだ。つまり、知者であれば、自分が楽しむ術を知っているが、仁者ともなると、それだけではなく、人をも楽しませることが出来るわけだ。
人物:貝原益軒
まず単純に、この長期的規模の視野を持ちたい。基礎、土台の構築の必要性は極めて重大な要素だ。
人物:貝原益軒
スティーブン・R・コヴィーは、著書『7つの習慣』には、悲観的でネガティブな人間の傾向を、次のように挙げている。
人物:亀井勝一郎
明日なのに、その明日が今日の中にある。一見すると意味が分からないが、次の言葉を聞いた後、どう思うかだ。
人物:黒澤明
『気取り』というのは、精神的余裕がある人間が取る行為だ。気取っている人間はだいたいそうだ。何しろ、余裕がなければそんなことをしている暇はないのだ。着飾ったり、見栄を張ったり、キザナ振る舞いをすることなど二の次。
人物:松永安左エ門
『私は、過去というものは、前向きのためのものでない限り、嫌いである。「青年は明日を思い、老人は過去を憶(おも)う」とするなれば、私も青年のつもりである。』
人物:松永安左エ門
社会に出た人間としてまず自分の生活を立てることは大切だが、金儲けのためには早回りして、いかなる手段も断行した私。
人物:松永安左エ門
『私は漫然と運を待つつもりは全然なく、私なりの努力を、心の命ずるところに従って、及ばずながら続けてきた。
人物:松永安左エ門
この『規模(スケール)』の話を聞いて思い出すのは、現代の経営の神、稲盛和夫のこの言葉である。
人物:松永安左エ門
天があるものか。命があるものか。そんな他人様にかかわりないのが人間の活動力であり、実行力であり、魂というものだ。』
人物:森信三
『逢うべき人』というのは、『自分の歩くべき道』の上で出会う人の事である。つまり、その道を歩いている人以外の人は、『逢うべき人』には出会えない。だからこのような言い回しになるのだ。
人物:森信三
自分の命の火が消えた後も、尚そこに残る、その人の面影。例えば、子供だ。そこに宿っているのは、間違いなくその人の血であり、細胞である。
人物:森信三
一日は、一生のうちの一コマだ。一瞬も、一生のうちの一コマだ。
人物:森信三
『母さん。もし自分の人生が二度あるんだったら、母さんの言う通りに生きます。でも、この人生は一度しかないんです。』
人物:森信三
何しろ、『明日』、死んでしまうかもしれないのである。だとしたら、『今日』を全力で生き続けなければ、その『不慮の明日』に備えることが出来ない。
人物:石坂泰三
第一生命や現:東芝の社長を経て、2代目経団連会長を努めた財界の大物、石坂泰三。この言葉を短絡的に見てしまうと、『おいおい、俺は100メートル走で金メダルをようやく獲ったんだぞ。それが無駄だって言うのかよ。』となってしまうが、もちろんそういう意味ではない。
人物:土方歳三
昨日、平和であっても、今日が平和であるとは限らない。そんなイメージが頭をよぎるわけだが、だとしたら、それこそが真理だ。『流動変化』しているのである。
人物:土方歳三
この戦に行けば、人生が終わるかもしれない。そんなシーンを経験したことがあるだろうか。ないなら、土方歳三と、この言葉を聞いた人間の気持ちを理解することはできない。
人物:アイルトン・セナ
濃度の薄い人生を送る。それは私もごめんだ。私が日々この人生で念頭に置いているのは、『命を使い切る』ことである。
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