人間には、ほとんど”差”がない。障害者でなければ両手足があり、骨格があり、筋肉があり、言葉をしゃべる。
それなのに、『自分は支配者である』と、心底から、”傲慢に(ここがポイントだが)”考えてしまう人間は、 “独裁者”になる。
独裁者とは=何事も独断で決めてしまう(傲慢な)人。なぜそう考えてしまう人間が出てきてしまうかというと、彼らが”知性”を追求しなかったからである。
“知識”と”知性”は違う。”知性”とは、ただ生きているだけでは備わらない。”知性”とは、それを追求する者にのみ、与えられるのだ。
by ゲーテ
紀元前100年、初めに”独裁者”の名がついた、暗殺されたユリウス・カエサル。
ナチス。今も、負の世界遺産としてアウシュビッツに収容所が遺されているが、そこで大量虐殺をはたらいた、THE・独裁者こと、アドルフ・ヒトラー。
自らの陰謀によって、歪曲した暗殺、逮捕、処刑を繰り返し、70万人の大量処刑を実行し、独裁者として名を馳せたヨシフ・スターリン。
中東の独裁者、シーア派等を10万人虐殺した、イラクの大統領サダム・フセイン。
リビアの最高指導者ムアンマル・アル=カダフィ。
彼らに”知性”があったのであれば、もう少しマシな死に方はできなかったのだろうか。これじゃ、後に生きる人間達の、模範にならない。
彼らは”力”に屈した人間である。『暴君』とは=ひとり横暴に振るう者。『暴力』だろうが『暴君』だろうが、それに当てはまる者は、自分の心が”暴れて”しまっているのだから、彼らは”支配者”ではなく、 “支配されている側”なのである。
彼らは次の言葉の意味を履き違え、そしてそれに支配されたのだ。
『自分は生まれながらに他人を支配する人間だと密かに自分に言い聞かせることによって、人間は計り知れない力を身につけることが出来る』
by アンドリュー・カーネギー
ドルトン『国に”心”を望んで何が悪い!!!!』
国、国民、従業員、友人に”心”を望むのは、人間が皆、平等であるという絶対原則への、忠誠心が強いからだ。
私自身、前に勤めていた会社のいくつかで、社員の事を『コマ』だとか、『変わりはいくらでもいる』だとか、そういうことを平気で言う経営者や、知人を何人も見てきた。
中にはもうすでに、”弾けて”痛い目を見ている人もいるかもしれないが、そういう考え方だと、人間として一時的な『膨張』はしても、『成長』はできない。
Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。