宗教/信仰 名言
人物:キルケゴール
カエサルは言った。『人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない。』そこに書いたのはこうだ。
人物:ダリ
以前の私なら理解できなかった言葉だが、今は違う。これが偉人の言葉を通して内省したことによる恩恵であると実感している。
人物:ダンテ
もちろん一つの意見としては、この見解でいい。そう言えば話は早い。全てを神の仕業だと考えれば、この世の『わからないこと』、『不透明なこと』、『はまらないパズル』を埋められることになる。
人物:ドストエフスキー
ドストエフスキーはこうも言う。『金こそは、取るに足らぬ人物を第一級の地位に導いてくれる唯一の道である。』これらの言葉を合わせて考えた時、まず初めに『人間ではない人』、あるいは『人間とは呼べない人』、
人物:ドストエフスキー
『神』という第三者的な存在がなければ、それがあったときと比べ、物事がスムーズにいかないケースが他出することになるだろう。Aでもない。Bでもない。そんな両者が対立するときはよくあることである。
人物:トルストイ
聖書を超訳したある本の著者は、『神=愛である』と書いている。だとしたらもう終わりだ。書くことは無い。この矛盾だらけの理不尽で混沌した虚しく、儚い人生に、唯一の救いがあるとしたら、それは『愛』。
人物:トルストイ
私はこの類の言葉を解読するのに随分苦労した。時間にして20年はかかった。その間に幾多もの葛藤と挫折を繰り返した。まず『神』と言ってる時点で遮断してしまう人間がいるのではないだろうか。特に日本人は、そういう性質を持っている。
人物:パスカル
このイエス・キリストだけは『人間』なのか『神の生まれ変わり』なのか、史実では証明できないという。ただ、一つだけ言えることは、そのどちらだと断言しても傷つく人がいるということである。
人物:パスカル
神が存在するということは、どうしても首をかしげざるを得ない。『存在する』という概念が、認知しているそれと噛み合わないのだ。
人物:パスカル
『信仰』はそうだ。しかし、『神を感じる』のは『理性』でも出来る。パスカルが言っているのは、『存在する神』であり、私が言っているのは『神=真理=愛』の方である。
人物:フランシス・ベーコン
確かに私も、『キリスト教の教え』そのものは、一部を除いて極めて傾聴に値すると確信している。
人物:フロイト
強迫神経症とは、自分の意に反して、不安あるいは不快な考えが浮かんできて、抑えようとしても抑えられない(強迫観念)、 あるいはそのような考えを打ち消そうとして、無意味な行為を繰り返す( 強迫行為)。そのような神経に蝕まれている人間のことである。
人物:フロイト
このサイトの至る所に書いてあるからここでは端的に済まそう。私は実に29年間という時間の間、両親にクリスチャンであることを強要され続け、大げさに言えば、精神的虐待を受け続ける半生を生きた。
人物:ヘルマン・ヘッセ
29年間両親にクリスチャンであることを強要された私が、トラウマ的に毛嫌いし、一時はその親ごと宗教を呪って、死んで消滅すればいい、というほど憎んだ私が、『四聖の言葉』のページをまとめるときに書いたのはこうだ。
人物:ヘルマン・ヘッセ
『救われたい』という人が、『救いの道』を探し求めているとしよう。誰かの助言でも、なんたらという宗教でも何でもいいが、とにかく自分は、前に進むために今の現状を打破したいと考えていて、しかしそれがなかなか出来ない。外部要因の力を借りて何とかしたいと考えているのである。
人物:マルクス
『阿片(アヘン)』とは、麻薬のことである。かつて、社会にそれが蔓延していた時代があったのだ。
人物:マルクス
まず、『戦い』と『血まみれの戦い』として、わざわざ二つに分けて挙げられていることから、この二つは、違う意味での『戦い』ということが想定できることになる。
人物:マルクス
『嘆息(たんそく)』とは、悲しんだりしてがっかりする、ため息をつくということである。つまりマルクスの言葉をまとめると、宗教は、抑圧された生物が、それに耐えられないが為に、目を逸らそうとした場所にある概念である。
人物:マルクス
これは非常に興味深いテーマだ。マルクスの言う通りなのだろうか。ニーチェは言った。『人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。』。
人物:モハメド・アリ
孫文は言った。『信念ができると、力が生まれる。』長嶋茂雄は言った。『想念は現実化するんですよ。』空海も、
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