宗教/信仰 名言
人物:ミケランジェロ
しかし、『神の創造』が存在するのであれば、我々人間も、その人間の頭の中も、全てがその領域の範囲内だ。
人物:ミケランジェロ
芸術家ではない私が芸術家のことについて話す資格はないが、そんな私から見ても、偉大な芸術家と、そうでない芸術家の差くらいはわかる。
人物:ミケランジェロ
『私の場合』としている時点で、『他の場合(ケース)』があることが前提だ。そのケースは、宗教だろうか。知り合いの人だろうか。
人物:三木清
考えればすぐにわかることだ。『宗教』などと言っている生命は、他に存在しない。人間が造った概念だ。では、『神』もそうなのだろうか。『神』の存在に気付いたのが人間だけだった、としたのなら
人物:シラー
『山登りをしていて、テントを張っていた。だが、とても信じられないほどの嵐が吹いて、必死になってテントを皆で抑え、死なないように、生きて帰れるように、無我夢中で神様に助けを求めた。
人物:セルバンテス
だとすると、祈るところに信仰があり、信仰があるところに愛がある。セルバンテスの言葉で言うのであれば、その『愛』は『神』である。そしてその『愛(神)』は、貧しい人々の為への奉仕を生む。
人物:ガウディ
『記号』というのは、『人間が認識できる文字や図形』等であり、とにかく『人間が認識できるもの』だ。本の内容も、テレビの内容も、全てこの『記号』である。
人物:ガウディ
サグラダファミリアのクライアントは、『神』ということになる。なかなか面白い発想だ。
人物:ガウディ
『世界では何も発明されてないんだ。発明家の幸運は神が全人類の目の前に置いたものを見たに過ぎない何千年も前からハエは飛んでるけど、人間が飛行機を作ったのはつい最近になってからだ。』
人物:ガウディ
この言葉は有名で、サグラダファミリアに行く際に覚えておいた方がいい名言だが、しかし、それぐらいで、あまり深い意味を考える必要はないだろう。
人物:ゴッホ
さて、『神』というものは、『人間の味方ではない』のである。人間の味方なら、天災を巻き起こして、罪のない人間の命を奪うことは無い。
人物:ショーペン・ハウエル
作家の五木寛之は著書『人生の目的』でこう言っている。『地獄は、場所ではない。それら(※負の連鎖を断ち切ること)が出来ない執着にまみれた醜い人間が生活する世界のことを、地獄という』
人物:ショーペン・ハウエル
つまり、『愛』は与えるもの、『恋』が奪うものだ。家族が、家族にそれを強要するとき、そこに別に『恋』はないが、あるとしたら、『恋』の心に含まれる、(そうなったらいいな)、(思い通りになったらいいな)という『期待』であり、『エゴ』だ。信仰を強要した時点で、そこに『愛』などないのである。
人物:ベートーヴェン
そもそも『神』という言葉自体が、正しいかどうかだ。この『日本語』は、一体何を指し示しているのか。この言葉を捻出した時、本当に日本人は、『八百万の神』と、その他の国々との『神』を一緒くたにして考えなかっただろうか。
人物:アインシュタイン
この言葉を説明するとしたら、その『木の根っこ』にあるのは、あれしかない。『真理』だ。そして、『愛』であり、『神』だ。これら全て、日本語である。
人物:ドストエフスキー
まずは『神』という『日本語』についての正確な解釈からだ。そもそも、『苦痛と恐怖を征服した人間』なら、多くはないが、しかし、皆無ではないだろう。
人物:ドストエフスキー
まずこの『神』という日本語を、『真理、愛、基準、光』と言った言葉に置き換えて考えてみる。すると確かに、それらがない世の中は、今よりも混沌としていて、人の目と心は虚ろになり、闇に覆われる。
人物:ニーチェ
私も両親にクリスチャンになることを強要されたから、気持ちはよくわかる。わかるが、『一大呪詛』と言って糾弾するということまでには至らない。
人物:ニーチェ
宗教について悩んだ人間なら、誰しもがわかることではないだろうか。ニーチェはニヒリズムだ。ニヒリズムは、『この世には虚無しかない』と考える人間。
人物:ニーチェ
私も、両親にキリスト教を強要されて、『私たちのはキリスト教ではない』とか、意味不明なことを言われてきた身だからよくわかるが、つまりこういうことだ。
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