自己/精神 名言
・NEXT⇒(13ページ目)
・⇐BACK(11ページ目)
人物:エマーソン
ユリウス二世は、『システィーナ礼拝堂』の制作がいつまでも終わらないので、ミケランジェロにこう言った。『いつ完成するのだ?』
人物:エマーソン
『育ちのいい者、理性ある者が絶対に話題にすべきでないものが一つある。それは自分の身体のことだ。前の晩眠れても眠れなくても、頭が痛くても、坐骨神経痛があっても、らい病でも、落雷にやられても、すべての天使にかけて頼みたい、黙っていてくれ。わたしの朝を台無しにしないでくれ。』
人物:エマーソン
ないなら、それは恒久的に続く可能性が高い。日本のバブル、中国のバブル、すぐに思い出せるだけでも、そうした『一時的な膨張』はあった。
人物:エマーソン
『なにも作れない』のは当たり前なのに、なぜそれをわざわざ言わなければならないのか、というところがポイントなのである。
人物:オスカー・ワイルド
バーナード・ショーは言った。『人は習慣を好む、なぜならばそれを作ったのは自分だから。』モンテーニュは言った。『私は自分の意見を述べる。それが良い意見だからではなく、自分の意見だから述べるのだ。』
人物:カエサル
またの名を『シーザー』。 ガリア戦争で英雄となるが、内戦の火種になる。 それならばと自ら内戦を引き起こし、その内戦に勝利。
人物:カント
人によっては、キリストの代わりにこのカントが、孔子、ソクラテス、ブッダと並ぶ四聖の一人だと言う人もいる、偉大な人物。
人物:カント
『徳』というのは、精神の修養によって得た、自己と他を鼓舞・して奮起させる啓蒙能力である。『啓蒙(けいもう)』というのは、正しい知識を与え、人々を導く行為だから、自己と他を叱咤激励し、間違った方向に行かないように、正しい道に導くということだ。
人物:カント
もちろんその他の動物、昆虫、微生物、菌、植物といった全ての生命も、等しく、『生命』には『尊厳』がある。『人間崇高主義』で考えてしまえば、『人間(だけ)は尊厳を有している』となる。
人物:キルケゴール
人間に精神がなければ、心がないということ。つまりもぬけの殻というか、意志もないわけだから、生命かどうかもわからないわけだ。
人物:キルケゴール
愛情を、自分だけに注いで生きていく人間は、『自分本位』だ。しかし、『他人本位』に気持ちが偏り過ぎてもいけない。なぜなら、他人本位にはなれないからだ。つまりキルケゴールの言葉は深い。
人物:キルケゴール
これだとまるで人間自体に『思想がない』ということを言っている様なものだが、しかし多くの人間に思想はある。あるから『思想』という言葉があるのだ。
人物:キルケゴール
また、『生まれてからずっと一緒だった家族は一生側で生きている』という発想もまた然りである。
人物:サルトル
いや、別にそれを意識しなくても、そうしているはずである。楽観視するのも、悲観視するのも決めているはずだ。どの神を信じて、誰を好きになり、何を食べるかも決めているはずだ。
人物:サルトル
『人間の価値は』という話だったらこれは『オンリーワンになれ』という方向でわかるのだが、『人間は』と言っているということは、そうじゃないのだろうか。
人物:サルトル
例えば、白いキャンバスに、どんな色を使い、どんな絵を描いていくかという事を思い浮かべてみる。
人物:シド・ヴィシャス
天使と悪魔。 秩序と混沌。 正義と不義。 善玉菌と悪玉菌。 光と闇。 白と黒。
人物:シド・ヴィシャス
『俺は映画なんて大っ嫌いだ。映画ではみんな決まった役をやらなければいけない。自分自身とは違う人物の真似をして。俺の言っていることわかるだろう?それは高慢で嘘でとにかく最低だ。物事を事実と違うようにでっち上げるんだからな。』
人物:シド・ヴィシャス
先日私は偉人の言葉を通したこの内省の最中に、兼ねてから引っかかっていたある問題に対し、『過程は自分の為』、『結果は他人の為』と割り切ることで、その問題にある種の答えを見出したつもりでいたが、どうやらこのシド・ヴィシャスにはそれが通用しないらしい。
人物:シド・ヴィシャス
いや、好きな人というよりも、何かこう、その枠を飛び越えて、『音楽』という概念が生み出された起因まで遡って思慮を巡らせ、何とかしてそのエッセンス(本質)を得ようとするような行為からは、
・NEXT⇒(13ページ目)
・⇐BACK(11ページ目)
スポンサーリンク
当サイト最重要記事
シェア
偉人の名前や名言を検索
おすすめ関連記事