自己/精神 名言
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人物:芥川龍之介
三島由紀夫が似たようなことを言っている。『無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。』
人物:芥川龍之介
だとしたら死ねばいいだろ。と思ってしまったが、芥川は自殺している。従って、軽率にそう言い捨ててはいけないようである。それであれば、別の観点から考えたほうがよさそうだ。
人物:芥川龍之介
『嘲る(あざける)』というのは、嘲笑う、嘲笑するという意味だ。人を嘲笑い、揶揄して批判し、見下す様な態度を取る。
人物:芥川龍之介
『好人物』とは、『現在の自分が好む者』、更に厳密に言えば、『現状の自分の刹那の欲望を満たしてくれる者』である。『愛人』や『悪友』の存在が頭をよぎることになる。『慣れあい』や『傷のなめ合い』といった人間関係もちらついてくるようになる。
人物:空海
日本仏教『真言宗』の開祖である、空海。日本仏教、チベット仏教、朝鮮仏教といろいろあるが、どちらにせよ元祖は2500年前の、釈迦(ブッダ)が開いた、仏教(ブッダの教え)である。
人物:空海
自分が好きなことに夢中になっていると、気が付いたら夕方になっている。しかし、自分の心が苦手だと叫んでいることをやると、ただただ苦痛でしかない。
人物:空海
『身の回りのものすべて』というのは、『人間』だけではない。一切の森羅万象である。動物と昆虫もだ。害虫もそうだ。毒も、寄生虫も、排泄物もそうだ。
人物:空海
『因果応報』の意味を調べると『前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。』
人物:空海
親鸞は言った。『いまから町へ出ていって、通りがかりの者でも、地下鉄の乗客でも誰でもよい。手当たり次第に千人殺してきなさい。』その問いにただただ面喰った弟子の唯円に、親鸞はこう続けた。
人物:空海
道の上を歩くことが求められている。その外を歩くことは、文字通り『外道』となる。改めてそう考えると、自分が外道に成り下がる様な真似はしたくないと、考える人間がほとんどである。
人物:空海
『嫉妬は自分とそれ以外の人とは別々の存在だと思う心から生じる。もし自分と自分以外の人を別ではなく、同じ存在だと見ることが出来れば、嫉妬することがなくなり、公平な心になり、全ての人の善行を心から賞賛できる。』
人物:空海
経営の神、松下幸之助は言った。『自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。』空海の言葉と照らし合わせて、どう響くだろうか。
人物:空海
この言葉を見て、何だか達観した気分になってきた。なぜかと言う理由は文章を見れば全てわかるが、しかし、もちろん達観などしていない。私は一生、達観などしない。
人物:空海
他人の利益に努めなければならないのはなぜか。そして、『それでスムーズになる』事実があるのはどうしてかというと、『この世は自分のものではないから』である。
人物:空海
周りの環境が、心の状態で変わってしまうというのは、超能力者の様なイメージが湧いてしまいそうだが、もちろんそういうことではない。そういうオカルト的な話では一切ない。むしろその真逆だ。
人物:空海
例えば、空海の師である、ブッダは言った。『愛別離苦(あいべつりく)。それすなわち、人生は自分の思い通りにならないという悟り。』
人物:高村光太郎
『君に』ということは、相手がいるわけで、それは『人』になるわけだが、この表現から考えるとしたら、相手は高い確率で、『異性』だ。だとしたら、私からすれば、それは女性だということになる。
人物:高村光太郎
人を救う理由があるだろうか。まずそこから考えたい。なぜ人を救わなければならないのだろうか。そこまで立ち止まって考えたいのだ。
人物:高村光太郎
イギリスの詩人、アレキサンダー・ポープは言った。『私の人生というこの長い疾病。』あるいは、ドイツの社会学者、マックス・ヴェーバーはこうだ。『生きることは病であり、眠りはその緩和剤、死は根本治療。』
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