名言を自分のものにする

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名言

 

 

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自己/精神 名言

 

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『自己に閉じ込められ、自己にこだわっている間は、世界を真に見ることができない。』

 

人物:道元

道元は、『自分を習うことは、自分を忘れることだ。』とも言った。ノルウェーの探検家、ナンセンはこう言い、

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『学道に勤労して他事を忘るれば、病も起こるまじきかと覚ゆるなり。』

 

人物:道元

自分の身が忙しければ、病気を患う暇もない。『病は気から』と言うが、まるで『隙間に入り込む』のが病原菌だ。ちょっとした油断や、暇、喪失、挫折、人生を生きていると様々な壁にぶつかったりして、隙が出来る。その『隙間に入り込む』のが悪いウイルスなのである。

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『自分の良心はきれいだと思ってるから、人が何言おうと平気なんだ。』

 

人物:白洲次郎

つまり、人の意見に右往左往している様では、まだまだ自分の意見に自信が無い証拠なのである。…ということを受けた時、どういう方向に目を向けられるかだ。

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『井戸の中にいる自分を、井戸の外から眺められることさえ出来れば、用はいくらか足りるような気もする。』

 

人物:白洲次郎

『井戸の中の蛙は大海を知らないという諺があったようだが、大事なことは、この蛙が大海を知る可能性がないにしても、井戸の中にいる自分を、井戸の外から眺められることさえ出来れば、用はいくらか足りるような気もする。』

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『人は死ぬ瞬間までも、もしかしたら助かるかもしれないと空想し得る力を与えられている。』

 

人物:武者小路実篤

これは『希望』のことでもあり、『現実逃避』のことでもある。両者はとても、似ている。が、似ているようで、似て非なるものである。

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『人生は完璧ではないが、ピアノや、ヴァイオリンより不完全な楽器とは思わない。』

 

人物:武者小路実篤

『人生は完璧ではないが、ピアノや、ヴァイオリンより不完全な楽器とは思わない。人生の曲をなり響かせれば、死も征服でき、永遠歓喜の世界の門を開いて、中にとっとと入る力がないとは言えない。しかし急いで死ぬ必要もないから生きているので、死が怖くって生きているのではない。』

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『恐るるのは人生が自分の内にしなびることである。自分が内から強いられなくなることである。』

 

人物:武者小路実篤

『自分たちはどこまでもどこまでも人の内の人生に強いられる限りは進まなければならない。人生に強いられて進むところに恐るるものはないはずである。

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『自己を責めることを知っている者は善人で、他人ばかりを責める者が悪人だ。』

 

人物:武者小路実篤

ロマン・ロランはこう言い、『自分を買いかぶらない者は、本人が信じているよりもはるかに優れている。』

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『才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。』

 

人物:武者小路実篤

それはそうだ。例えば身長や生まれた国や肌の色は、選べるものではない。そのように、選べるものと選べないものがあり、その選べないものでやむを得ず『比べる』ことになった時、

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『自然、必然、当然。三つのものの、合一する道を歩く確かさ。』

 

人物:武者小路実篤

自然は、自然だ。雄大な大自然であり、荘厳としたエネルギーだ。

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『心配しても始まらないことは心配しない方が利口だ。心配すべきことを心配しないのはよくないが、それも大胆に、いじけずに心配すべきだ。』

 

人物:武者小路実篤

杞憂は時間の無駄であり、楽観性のない悲観はナルシストである。

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『人間が死ぬ時の言葉は美しいと言われているのも、人間は死ぬ時は、自分のことを考えず、あとのことを考えるからである。』

 

人物:武者小路実篤

だとすると見えて来るのは、『人間は執着をやめた姿こそ、最も美しい』という、人間の最高到達地点だ。それは、

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『みな身から出たさびだ。さびを出すのが嫌だったら自分を純金にするか、絶えず自分を磨いていなければいけない。自分では何もせずに、さびが出るのに不平を起こすのは己を知らない者だ。』

 

人物:武者小路実篤

『楽を求めた結果だ。後始末をするのが嫌だったら、『楽』ではなく『楽しい』人生を送ることを念頭に置かなければならない。前始末だ。後で始末するのではなく、前に始末出来たはず。

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『どんなに貧しく賤しい者でも、なぜ貧乏で賤しいか、その原因を知り、それが自分にあるということが分かれば、決して、やたらに他人を怨望したりはしません。』

 

人物:福沢諭吉

『どんなに貧しく賤(いや)しい者でも、なぜ貧乏で賤しいか、その原因を知り、それが自分にあるということが分かれば、決して、やたらに他人を怨望したりはしません。』

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『人間の感情は、活動に自由がなければ、どうしても他人を怨望することになるのです。』

 

人物:福沢諭吉

『人間の感情は、活動に自由がなければ、どうしても他人を怨望することになるのです。因果応報として明らかなのは、麦を蒔けば麦が生えるというようなものです。』

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『話し方や容貌も心の働きですから、これをいい加減にしていては上達するわけがありません。』

 

人物:福沢諭吉

『心の働きは、努力して進めれば進歩しないものはありません。その進歩の仕方は、手足を使ってその筋力を強くする肉体の鍛錬と同じです。話し方や容貌も心の働きですから、これをいい加減にしていては上達するわけがありません。』

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『苦は楽の種で、楽は苦の前兆である。』

 

人物:福沢諭吉

『苦』は、人間が快楽を得るために通らなければならない健全な道であり、『楽』は、人間が快楽を得るために通るべき道を、軽んじたために得た一時の感情である。

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『聖人と我とは類を同じくする者なり。』

 

人物:孟子

聖人だろうが、凡人だろうが、同じ人間だ。そのことを理解すれば、『凡人も努力して聖人になれる』ことも、『聖人が怠惰して凡人に成り下がる』ことも、想像にた易い。中国の文人、韓愈は言った。『彼は人なり、我らも人なり、我何ぞ彼を畏れんや。』

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『至誠にして動かざる者は いまだこれあらざるなり。』

 

人物:孟子

誠意を尽くせば、人の気持ちは必ず動く。人だけではない。鉄壁の壁をも打ち砕くこともあるだろう。信頼残高と不撓不屈の精神が溢れる人間は、まるで無限の可能性があるような錯覚さえ見せるものである。

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『志は、気の師なり。』

 

人物:孟子

『病は気から』と同じだ。志こそが、自分の気合い、気持ち、気分、気運のカギを握る、コックピット(操縦席)に座るマスター(支配者)である。まず、コックピットがどこにあるかを知らなければ、そこに座ることもできない。

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