自己/精神 名言
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人物:ラ・フォンテーヌ
だとしたらその人物は『全世界』も知っていることにはならない。最低でも、人間、動物、昆虫、微生物、自然、知識、技術、それら全てのことがこの地球における『全世界』ということになるのだ。その中には当然、自分も含まれているのである。
人物:ラ・ロシュフーコー
自分はもちろん、他人とは違う。自分は自分だ。親子でさえ夫婦でさえ、違う人間だ。だから違う。それはすぐにわかる。だが、『自分自身とも違う』というのはどういうことだろうか。例えば、こういう経験はないだろうか。
人物:ラ・ロシュフーコー
例えば、『北風と太陽』で考えてみる。そうすると、その『名誉挽回出来る方法』と、『逆に悪化する方法』が見えて来る。以前私は、22歳かそこらのとき、仕事もやり始めだし、軽薄な考えが原因の凡ミスもあった中、あるミスを犯してしまった。
人物:ラ・ロシュフーコー
作家、村上龍はこう言っている。『自分が欲しい物が何かがわからない人間は、何も手に入れることは出来ない。』この言葉を、『今の自分が幸か不幸かも理解していないのに、将来の自分のことなど憂う必要はない』という
人物:ラ・ロシュフーコー
つまり『過信』であり『思い上がり』だ。以前、私の知人は、自らの口で、あるいはプロフィールに、『俺は駆け引き天下一品』と公言していた。しかしそれでは、『私は駆け引きをする人間です』と言っているのと同じで
人物:ラ・ロシュフーコー
『自分の人生なんだから好き勝手やっていい』という事実を『援用』すると、そういうことが起きる。援用とは、自分の主張の助けとするため、他の 意見・文献などを引用したり、事例を示したりすること。
人物:ラ・ロシュフーコー
私が、公認会計士のキングスレイ・ウォードの言葉、『本を一冊読むたびに正しい方向に一歩前進する。』に書いた、『資産を横領して逃げた知人』についても、同じことが言えるだろう。
人物:ラ・ロシュフーコー
それはそうだ。『道』はある。しかし、『100兆円の現金を手にする』という道は、超が100個付くほどの難解な迷路の道だ。
人物:ラ・ロシュフーコー
矢沢永吉は、『20代で頑張った奴だけが、30代のチケットを手に入れられるんだ。』と言ったが、事実、頑張らなくても一応はチケットが手に入るが、それは場末のバーか何かにあるステージの、立見席程度の物である。
人物:ラ・ロシュフーコー
『運を管理(支配)する』。このテーマについて紐解くとなると『風林火山』の『孫子の兵法』が浮かんでくる。小さく負けて、大きく勝つ。
人物:ラ・ロシュフーコー
確かに『理性』は、羅針盤だ。方向性を定め、行くべき道を教える。そんな理性は、原則的に重要である。
人物:ラインホルト・メスナー
世界で最も高い山、エベレストの登頂がどれだけ難しいかは、有名な登山者が大けがをし、あるいは命を落とし、何度も、何人もそれを断念している近況を聞けば、いやというほどわかるはずだ。
人物:ラファエロ
『フロー状態』とは、日本では『ゾーン』の名で知られているものと同じ現象である。完全に自分の世界に入って、パフォーマンスが向上し、100%以上の力を発揮するような、そういう現象のことを言い、私も18歳の時にやったバレーボールの大会で、それに近い現象を体験したことがあるが、あれはすごい感覚だった。
人物:レオナルド・ダヴィンチ
『宇宙のイメージ』というワードを聞くと、どうしても妙なイメージが先行してしまう人がいるが、しかしそれは、今から300年後の人たちもそうだろうか。今でさえ、月面着陸にすでに成功し、火星の探索もどんどん進んでいて、移住計画すら出ているのだ。
人物:レオナルド・ダヴィンチ
孔子は、『”他”の為の知識習得は、的を外している』 (超訳) と言っていて、『学ぶこと』の本来の意味を、根底から考え直すべく、教えを説いている。
人物:レオナルド・ダヴィンチ
錯覚を利用した絵や部屋などがあるだろう。遠近法等を利用して、まるで人間のサイズを変えてしまう様に見せる、あれである。『カニッツァの三角形』とは、
人物:栄西
意味はこうだ。『人間の心は広大だ。天空の高さには圧倒されるが、心はその高さをも超えることができる。大地の厚さはとてつもないものだが、心はその厚さをも超えることができる。
人物:吉野源三郎
何しろ、『自分自身が心から感じたこと、しみじみと心を動かされたこと』というのは、唯一無二の自分の『意志』である。デール・カーネギーの名著、『道は開ける』224Pを読めば、科学的な確率でいえば 300兆分の1の確率で、
人物:吉野源三郎
その代表が私の部下である。これと同じ言葉を、もう数百回は言っている。助言であり、説教であり、そこにあるのは愛情なのだ。自分が『受け身の愛されキャラ』を演じている暇があれば、『子々孫々の為に奮起する』道を選択しなければ、そうした意志を燃やさなければ、彼らの人生はどうなる。
人物:近藤勇
恩義とは、人から受けた恩に対する感謝の気持ちを忘れない心である。それを忘れたら最後、そこに残るのは自分の力を過信した、思い上がった空虚な人間の肉体である。何から何まで、自分の力一つでやり遂げ、成し遂げたつもりでいるのだ。
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