自己/精神 名言
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人物:エピクテトス
これはもう単純に、その通りだ。運転が出来ることが、ひとつの技能であるように、聞き上手も一つの技能だ。
人物:エピクテトス
『外には』と出ているということは、カギはその反対にある。『内』だ。内に目を向け、自分のやるべきことをやるのだ。
人物:エピクテトス
たとえどんな試練が自分の身に降りかかっても、自分の心に据えた一本の槍さえ折れなければ、何度でも人は人生を持ちなおすことが出来る。
人物:エピクテトス
自分の人生を生きていれば、『人の人生』にぶち当たることがある。つまり、自分の人生を歩かなければ、人の人生にぶち当たることは無い。
人物:エピクテトス
面白おかしいが、これも時と場合によって使い分けたい。『三度目の正直』と、『二度あることは三度ある』だ。一体、どちらが正しいというのだろうか。
人物:エピクテトス
要は、この世には幸福と不幸があって、その幸福の勢力が強ければ、人は『幸福だ』と思うことになり、不幸の勢力が強ければ、『不幸だ』と思うことになるわけだ。
人物:エピクテトス
これを考えた時、まるで自分の良心の周りには、難攻不落の要塞よりも頑丈な要塞が取り囲んでいて、核ミサイルが撃ち込まれようが、天変地異が起きようが、断固として動じない、サンクチュアリ(聖域)であるかのような印象を得ることが出来る。
人物:エピクテトス
復讐心に支配された人間のエゴたる実態は、所詮、包括的に考えれば、人間の要素のごく一部が異常状態に陥っただけに過ぎない。
人物:エピクテトス
エピクテトスのこの言葉を理解する為に見るべきなのは、次の二大宗教の絶対軸となる教訓である。
人物:エピクテトス
単純な話、地位も名誉も財産も手に入れた人間が、精神的におかしくなり、その全ての要素を有効活用できない状態になった。彼は『自由』だろうか。それとも違うだろうか。
人物:エピクテトス
『通い合う』というのは、ぴったりくる、しっくりくる、意気投合する、という意味だ。従って、『動物と通い合う』というのは、『人間は他の動物と何ら変わりはない一面がある』ということ。
人物:エピクテトス
いや、『この地上で』というよりも『人間の中で』の方が良い。人間中心の考え方、人間崇高主義の発想自体が間違いなのだ。従って、『この地上で』としている時点で、もう低俗である。
人物:エピクテトス
私がこの言葉を聞いてすぐに思いつくのは、私が様々な偉人の言葉と向き合って内省し、導き出した、ある一つの見解である。それがこれだ。
人物:エピクテトス
私は、とある『泣く子も黙る地獄の生活』をしたことがあるが、そこに入るまでは、それはそれはその生活の話が、面白おかしく噂されていたものである。
人物:エピクテトス
復讐したって何にもならないだろう。むしろ負の連鎖を生むだけだ。永久に終わらない負の連鎖にはまることは、むしろ相手の思うつぼである。
人物:エピクテトス
病気と言っても色々あるが、例えば私の例で言うと、持病に口唇ヘルペスを患っているわけである。ストレス、疲労、日焼け等によって免疫力が下がると、体内に潜んでいるヘルペスウイルスが口元へ降りてきて、皮膚を食いつぶし、そこが腫れ上がってしまうという症状だ。
人物:エレノア・ルーズベルト
しかし、『自分には向いていない』ことがあって、それが『あの人の方が向いている』ことがわかっていた時、それをその人に頼むのは、フェアである。
人物:エレノア・ルーズベルト
「こんなに恐ろしいことをやり遂げたのだから、もう何が来ても大丈夫」と言えるようになります。自分にはできないと思うことに、挑戦してみなさい。』
人物:エレノア・ルーズベルト
他人を扱う際に『頭を使ってはならない』と暗に示している理由は、『人間を駒の様に扱ってはならない』という、人権への敬意の証だ。
人物:エレノア・ルーズベルト
『自然の悪戯』と『芸術』。そこにあるのは、『人為的なもの』の有無である。
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