自己/精神 名言
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人物:ホラティウス
一時の感情に心を支配され、人生を棒に振った人間はいくらでもいる。他人の人生と、自分の人生、両方だ。
人物:ホラティウス
『目標設定』をする理由が、ここにある。『目標』というぐらいだから、それは現在の自分以上の位置に、マークを付けること。
人物:ホラティウス
しかし、ここでトレーニングの原則に目を向けたい。筋肉が太くなる理由は、トレーニングで傷ついたり、切れたりした筋繊維がたんぱく質と休養によって補修され、そして以前よりも強くて太い筋繊維となって復活する『超回復』と言われる現象が積み重なるからだ。
人物:ホラティウス
やり過ぎてもダメだ。やらなさ過ぎてもダメだ。重要なのは、『過ぎ』ではなく、『ほどよく』ということである。
人物:リチャード・ニクソン
自分の命が躍動するシーンは、場当たり的で、刹那的な人生の中にはない。私がその様な人生を送っていた代表者のようなものなのだ。
人物:リチャード・ニクソン
それが出来れば苦労はしない。私も、この世界がそういう世界だったらとても住みやすかった。しかし、この世界はそういう純白の世界ではない。多種多様な色が混じりあって、しかもそれが『多様性』として正当化され、まかり通っているのだ。
人物:リチャード・バック
しかし、それでは実際に責任を回避できていない。この言葉の曲解をすれば、大変な苦労を強いられることになるだろう。これはただ、揶揄しているだけである。
人物:リチャード・バック
『暖かいベッド』で得らるのは、『安眠』である。安眠することが出来る人の心は、とても穏やかである。心が荒み、ストレスたる毒素に蝕まれている人間は、およそ安眠など出来ない。
人物:リチャード・バック
だとしたら、その『厳正なる教師』に出会えたのは、幸運であり、必然だ。つまり、困難に陥ったということは、自分が今『厳正なる教師』の指導を受ける必要があるということを意味し、至極単純に、その教育を喜んで受ければいいだけなのだ。
人物:リチャード・バック
ここに一切の重荷、負荷、ストレス、困難、重労働、壁、修羅の道、という様な方向の印象付けをしてはならない。
人物:リチャード・バック
私がこの言葉を見て思った感想は、(すげえ。)だ。
人物:リチャード・バック
学習は、すでに知っていることを発見すること。行為は、すでに知っていることを実践すること。教育は、自分と同様に、他の者たちにもその知識があることを気づかせること。
人物:リチャード・バック
それはそうだろう。そういう人は、『勝ち逃げすればいい』という発想を持つ人だ。私の周りにもそういう人は大勢いた。
人物:貝原益軒
平常心、そして克己心。それさえあるなら、それはもう徳を養う土壌が整ったのと同じだ。何しろ『徳』とは、『精神の修養によってその身に得たすぐれた品性』の意味。『人徳』とは、その人が持っている品格という意味だ。
人物:貝原益軒
『病は気から』という概念を、どこまで信じるかでこの事実の恩恵を得られるかどうかが決まる。世界的に著名なアメリカの細胞生物学者であり、
人物:貝原益軒
モンテーニュは言う。『賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。』例えば、目の前で失われそうになっている命を救ったとしよう。それを見て見ぬフリをしてその後を生きながらえるよりは良かった。
人物:貝原益軒
人というものは浮つき、そして憂い、平常心を見失いがちである。そういうときは、まず最初に考えるのは『それに身を任せる』ことではない。
人物:貝原益軒
楽をしていたら『楽しい』人生は送れない。『衰える』ことは、決して楽しくはないだろう。遅く
人物:貝原益軒
『人々は日々に飲食せざることなし。常に慎みて欲を越えざれば、過ごしやすくして病を生ぜず。古人、わざわいは口より出でて、病は口より入ると言えり。口の出し入れ常に慎むべし。』
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