自己/精神 名言
・NEXT⇒(55ページ目)
・⇐BACK(53ページ目)
人物:パブロ・ピカソ
人が3つ出てきているが、まずこういう解釈が出来る。最初の『人』は、自分も他人も含めた、全ての人だ。そして次の『人』は、他人だ。
人物:パブロ・ピカソ
重要なのは、この言葉にどんな根拠があるのか、とか、母親が一体どういう人物だったのか、とか、そういうことではない。
人物:パブロ・ピカソ
まず、『芸術は嘘である』というところを見る。それがわかった後、『しかし、結果的にそれで真理を悟ることが出来る』ことが浮き彫りになる。だとすると、考えられるのは、『背理法』だ。
人物:パブロ・ピカソ
正確には、『そうすれば出来ないことが無くなって、出来ることが多くなるからだ』だ。その言い回しの方が的を射ている。
人物:パブロ・ピカソ
言わずと知れた天才画家、ピカソ。数々の名作を生んだピカソだが、その中に『ゲルニカ』といういや、そもそも『真似』も『盗み』もダメだ。ダメなのに、あえてこの言葉を使っている。
人物:パブロ・ピカソ
『模写』というのは、そっくりそのまま、それを丸写しする、実物そのものに、似せて写すということである。
人物:パブロ・ピカソ
『回教』とは、イスラム教のことだ。それは別に関係ない。ただ、そのような人たちが寺院に入るときに靴を脱ぐのと同じで、ピカソも、自分のアトリエに入るときに、ドアの外に肉体を置いてくるということだ。
人物:パブロ・ピカソ
絵を描くという作業を、『美的活動』ではなく、『作業』でもなく、『魔術』として『捉えた』ということだ。別に、美的活動として捉えても全然いい。しかし、ピカソはそうしなかった。
人物:パブロ・ピカソ
『のみ』と言う割には、随分多い印象を受ける。智恵、注意、誠実、意志の4つが揃っていたのなら、別に芸術家でなくても、あらゆる人間がその道で結果を出すことが出来そうだ。
人物:パブロ・ピカソ
子供の様な絵と、子供が描いた絵。どちらが価値があるということは、周知の事実だ。だが、まるでピカソの言葉を聞くと、子供が描く絵の方が、価値があるという風な印象を受けるわけだ。
人物:ベートーヴェン
逆に、希望がない人間の心には、ぽっかりと穴が空いている印象を受ける。これは、私の部下にそういう人間がいるから、よくわかることなのだ。
人物:ベートーヴェン
芸術性ばかりを追い求める人間が、たまに自殺をする。自分の人生そのものが芸術だと捉えて、常識を破ることを念頭に置いているから、死でさえも、アートにしたいのだ。
人物:ベートーヴェン
『自分が誤っている』ということを認められる人は、『全身全霊で自分を出しきっていない人』である可能性が高い。
人物:ベートーヴェン
この言葉にはたくさんの意味が込められている。まず単純に、私が人生のどん底にいたとき、精神分裂病の叔父が私に送った手紙の内容、
人物:ベートーヴェン
しかし、純粋な心を持った赤ん坊が作ったスープは、必ずしもうまいとは限らない。むしろ不味いことの方が多い。
人物:ベートーヴェン
『不死の心』を持っている人間などいない。何しろ、不老不死ではないからだ。人間は絶対に死ぬのだ。動物も昆虫もそうだ。
人物:ラッセル
イギリスの作家、ウィリアム・ヘイズリットは言った。『何百万という人類の滅亡よりも、自分の小指のけちな痛みのほうが心配なものだ。』 人が自分のことを考えてくれていると思ってはならない。だからよくある例の被害妄想も無駄な時間だと思った方が良い。
人物:ラッセル
私が『四聖の言葉』の冒頭に書いている挨拶文で、このラッセルの言葉と同じ的を射ている文面がある。『自分の意見こそ正しい』。 そう考えてしまう延長線上にあるのが、
人物:ラッセル
『酩酊(めいてい)』とは、飲酒などによってひどく酔うことを意味する。では、その酩酊が、一時的な自殺だというのは、どういうことだろうか。
人物:ラッセル
まず考えるべきなのは、その比較する『他人』が、『比較するべき相手ではない』という事実についてである。
・NEXT⇒(55ページ目)
・⇐BACK(53ページ目)
スポンサーリンク
当サイト最重要記事
シェア
偉人の名前や名言を検索
おすすめ関連記事