名言を自分のものにする

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名言

 

 

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自己/精神 名言

 

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『嫌いな人間、国家、信条がなければ、大抵の人は幸せになれない。』

 

人物:ラッセル

これはたとえば、ショーペン・ハウエルがこう言い、『どのような不幸に際しても、何よりも強い慰めとは、自分より、もっと不幸な他の人たちを見ることによって得られる。』

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『愚かな人は、賢い人が言ったことを、正確に理解することは出来ない。それは人間というのは、自分が聞いたことを、自分が理解できる範囲の内容に変換してしまうからである。』

 

人物:ラッセル

ニーチェの『虚構と記号』、シャンフォールの『理解できる範囲』然り、人間というものは『ああそういうことね!』というイメージで、早合点してしまうところがある。

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『人間は「自分の死後に、何が起ころうとしているのか」に、思いをはせることが大事である。』

 

人物:ラッセル

大事か大事じゃないか、ということで言えば、大事だ。だが、それを考えても絶対に答えは出ないので、大事ではあるが、些事である。

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『思考はまったく、恐ろしい代物だ。思考は、体制を覆す、革命を起こす。秩序を打ち壊す。』

 

人物:ラッセル

人間が(自分は人間である)ことを認知する為に必要な、必須のポテンシャルである。

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『自分の意見と違う意見に腹を立てず、そういう意見が出た理由を理解しようとする術を学ぶことが大事である。』

 

人物:ラッセル

自分の意見が『赤』だとすると、その時の相手の色は『青』だったわけだ。だとしたら例えば、『紫』という新しい色を捻出することを考えたいのである。

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『常識外れの思想を持つことを恐れてはいけない。今日の常識のほとんどは、元々常識外れの思想から生まれているのだから』

 

人物:ラッセル

そもそも『常識』というのは、『非常識』である可能性が高い。つまりこういうことだ。

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『いい年になったら早く後継者にその地位・財産を譲って、真実の生活に入るべきものである。 』

 

人物:安岡正篤

注目したいのは、『真実の生活』である。これを見逃すことはできない。まるでこの言葉は、人為的な概念からの縛りから解放された後、本当の人生が始まるのだ、ということを示唆している様に見受けられる。

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『自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる。』

 

人物:安岡正篤

だからあまり表層的なものが派手に修飾されていたからといって、その飾りに目を奪われてはならない。奪われてもいいが、それは往々にして『奪うため』に飾られていて、だとしたら、それは相手の思うつぼである。

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『西洋でも東洋でもそうだが、有為有能な人に共通しておることは、惰眠をせぬことである。』

 

人物:安岡正篤

『惰眠(だみん)』とは、怠けて何もしないでいる、という意味。何も、『眠るな』などとは一言も言っていないわけだ。

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『本当の学問や修養というものはこれは禅でも儒でも同様で、人間と人間、精神と精神、人格と人格が火花を散らすようにやる。』

 

人物:安岡正篤

わかったのか、わからぬのか、ノートをとって、またそれを受け売りするなどというような学問や学校勉強は、これは雑学・俗学というもので、いわゆる学問・求道の中には入らない。

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『他人を変えようと思ったならば、まず自分を変えることである。』

 

人物:安岡正篤

オプラ・ウィンフリーはこう言い、『他人を変えるのは不可能よ。でも自分を変えることはできるわ。』あるいはこうも言った。『あなたの人生を実りのあるものにしたいのなら、あなたの考え方を変えなければならない。』

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『人間の脳というものは、いくら使ってもくたびれないばかりでなく、難しいことに使えば使うほど機能が優れてくる。』

 

人物:安岡正篤

これは本当のことで、至極単純に、淡々とこの事実を受け止めて終わりだ。

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『自分が接するありとあらゆる人から、その専門の知識体験を聞き、我が物にすることができれば活学というべきだ。』

 

人物:安岡正篤

もちろん、これが出来ればすごい。だが、それは容易ではない。但し、『容易ではない』だけで、別に、出来る。

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『何にしびれるかによって、その人は決まる。人間は本物にしびれなければならない。』

 

人物:安岡正篤

私もこれは、自分の子供への教育の際に、極めて重視しようと思っている、重要な項目の一つだと考えている。

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『病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏であるとか、多忙であるとかいうことは、逆に自分自身を鍛錬する非常な妙薬、否、妙薬以上のものであります。』

 

人物:安岡正篤

病弱、愚鈍、貧乏、多忙、それに加えて、試練、困難、挫折といった、あらゆる艱難辛苦は、全て『負荷』であるわけだが、しかしこのようには、その『負荷』を喜ぶような人間がいる。

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『人間が進歩向上する一番大切なことは敬する心を発達させることであり、それによってはじめて恥を知ることができる。』

 

人物:安岡正篤

人間が人間たる意義を求めるならば、まず敬するという心を持つことである。人間が現実にとどまらないで、限りなく高いもの、尊いもの、偉大なるものを求めてゆく、そこに生ずるのが敬という心である。

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『少数の真剣な求道者のみが時制の運命を徹見し、社会を善導することができる。』

 

人物:安岡正篤

確かにそれが事実なのだが、それが『少数』でいてはいけない。『大多数』の人が、真剣な求道者であり、高い見識を持つべきであり、その様な世界が来ることを諦めてはならないのである。

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『積み上げて自分の身ほどの書物は、毎年読み続けるくらいの心がけが、人物を磨いていくのである。』

 

人物:安岡正篤

読書には『速読』と『熟読』という方法がある。さっと読んで重要箇所だけに記しつけておくか、何度も何度も読み返して、自分血となり肉とする為に、本をボロボロにすることも厭わない本への向き合い方だ。

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『道に志したなら、衣食がたとえ粗末であっても気にすることはない。』

 

人物:安岡正篤

そもそも、それが『粗末』かどうかをどう判断するかだ。例えば安岡正篤のこの写真の様な着物はどうだ。現代の人、富豪から見ればみすぼらしくも見えるし、当時の人、外国の人、また違う人からすれば、逆に立派に見える。

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『他人が見ても心地よい表情や態度を心がけて、感情の乱れを表に出してはいけない。』

 

人物:安岡正篤

この考え方は、武士道精神そのものである。新渡戸稲造の著書、『武士道』は、実にそうそうたる人物と照らし合わせ、その道について追及していて、奥深い。

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