自己/精神 名言
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人物:安岡正篤
知識、見識、胆識というが、知識があるだけではダメだ。あって当たり前である。それが当たり前ということで、まずこの話はぐっと狭き門となる。
人物:安岡正篤
先義後利、先憂後楽的な発想をないがしろにし、まず先に、われ先にと、自分の私利私欲を満たすことだけを優先させる人間は、人の上に立つ資格はない。
人物:安岡正篤
『印象管理』とは、自分に対する人からの印象を管理すること。つまり、人からどう見られるか、何と言われるかを気にしている人間が取る、外的要因に対する対処方法である。
人物:安岡正篤
この言葉が安岡正篤の言葉を完全に裏打ちしている。『環境』など、『作る』ものだ。とある、その道で数億円の家を建てることを実現させた芸人が、後輩芸人に、こう言った。
人物:安岡正篤
従って、皆が『義』を重んじる発想を持たなければならない。利を追いながら、義を重んじる。
人物:安岡正篤
『自己を失う』というのは、『自分が何者であるかを見失う』ということである。例えば、ルソーのこの記事に書いた、
人物:安岡正篤
この記事には、そのリチャード・バックと全く同じ見解で、私が書いた記事がある。
人物:井植歳男
いや、小さな世界を見る人間を揶揄しているのではない。この『ウロボロスの輪』を見てどう思うかだ。世界は我々が認識している『エリア』の他にも、たくさんの世界が広がっていて、その規模は、人間の目視だけでは把握しきれない。
人物:井植歳男
60年の半生を振り返ってみると、私はその大半を事業一途に生きてきたと思う。しかし、私とて決して仕事以外に楽しみや喜びを求めなかったわけではない。
人物:韓非
プラトンもこう言っている。『自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。』人は、他人に勝とうと思っている時点で、既に的を外している。孫子の兵法を考えるときに必ずと言っていいほど出て来る、『戦わずして勝つ』という極意、発想自体も、的を外している。
人物:韓非
この『違和感』の正体は、とても重要である。そしてまず、その違和感を、『違和感』として認知することが出来るようになることが重要だ。
人物:韓非
この言葉は単純にそのまま考えればいい。他力本願では、自分の手柄がいつまでも立たない。それはつまり、自分の実力となることがないことを意味し、人生の浪費である。
人物:鍵山秀三郎
天才芸術家、岡本太郎の父親、岡本一平は、『仲間や同僚をライバルにするな。ライバルはお釈迦様か、キリスト様にしろ。』と言ったが、さすがだ。私も同意見である。
人物:鍵山秀三郎
『本物の人間とは、言っていることとやっていることが同じ人です。もっともらしいことを言う人はたくさんいますが、口だけではいけません。実際に行動して何か犠牲を払っている相手に、人は信頼を寄せるのです。』
人物:鍵山秀三郎
利益を追求する目的が、私利私欲を満たす為ではなく、『可能性を保持する為』だというところが、大きなカギを握るポイントである。
人物:鍵山秀三郎
鍵山秀三郎が、なぜあんなにも掃除をするようになったのか、これでその根幹がわかった。いかなる境遇に陥っても卑屈にならず、決して悲劇のヒーロー・ヒロインを気取らない。
人物:鍵山秀三郎
飛行機や新幹線に乗ると並んだ座席の真ん中にはひじ掛けがありますね。一人がそこにひじを乗せれば、となりの人は使用できなくなります。そのようなとき、私は最初から絶対に使わないようにしています。
人物:鍵山秀三郎
例えば、まだ小さい子供が、道路に飛び出た猫を見て、猫の命を想い、猫を助けに道路に飛び出た。しかし、残念ながら、猫も子供も、車に轢かれて死んでしまった。
人物:五木寛之
何しろ、それを『本当に自覚』することが出来たのなら、(あの人もきっと、いや、間違いなく自分と同じだ。自分と同じように、自分が一番大切に思っているのだ。
人物:五木寛之
悲しいことが起こらないように、祈る。それはまるで、『普通』として完全に蔓延しきっている『常識』である。
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