自己/精神 名言
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人物:ドストエフスキー
確かその通りだ。それを意識して打破しようとしても、なかなか変えられるものではない。例えば私なら幼少期に両親に理不尽をされ、そして宗教を強要されたことで、根底に誰よりも理不尽を嫌う自分と、
人物:ドストエフスキー
思わず口からこぼれてしまうのは、『本音』だ。それまで、どういう理由でそれを包み隠していたかはわからないが、それが『重大だ』ということなのであれば、言ってはいけない問題があって、
人物:ドストエフスキー
ここで言う『紳士』は、『武士道』にも『騎士道』にも似ている。全国共通の粋でお洒落な、格好いい心構えというものがあるのだ。
人物:ドストエフスキー
私はあまり人を過度に尊敬することはないが、それでも『惹きつけられる人』がいることは間違いない。そういう人物は、決して自分のことを卑下し、自堕落に走る、それでいて傲慢不遜な暴力的かつ越権的で支離滅裂な人間ではない。
人物:ドストエフスキー
だとしたら、『私は森羅万象を愛せる』と思えれば勝ちだ。勝ち負けという話ではないが、しかし『この世が地獄だ』と言っている人間は。
人物:ニーチェ
いや、『ゲシュタルトの創造と破壊』の概念から考えても、まず自分以上のゲシュタルト(人格)を上の境地に設定(創造)し、そこに到達させるために現在のゲシュタルトを破壊しながら成長させていくことは、非常に重要な自己向上手段である。
人物:ニーチェ
この言葉でイメージしたいのは、自分の意志や心が、その他の要素に蝕まれ、あるいは影響を受け、その透明さを失いたくない人は、他の要素に触れないようにすればいい、というものだ。
人物:ニーチェ
『論争に応ずる場合には、双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。というのは、攻撃者側は、一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。』
人物:ニーチェ
この言葉だけから意味を分析するのはなかなか難しいが、まず、『高さがいる』と言っていることは、恐らく『二階に登ろうとしている』ということではない。
人物:ニーチェ
今まで『真理』とされてきたものは、『嘘』だった。そういうことが発覚することはある。
人物:ニーチェ
『超克(ちょうこく)』というのは、困難や苦しみに打ち克ち、それを乗り越えることを意味する。従って、そういう経験がある人間は、『超克した』と言うことが出来るのである。
人物:ニーチェ
本を読むことはいいことだ。だが、『めくることばかりしている』のであれば良くない。何事も、やりすぎはよくないのである。
人物:ニーチェ
『息子の中の自分』という発想が生まれるのは、子供、自分の分身だと思っている証拠だ。自分の体内から出て来た子供なんだから、そう思って当たり前かもしれないが、
人物:ニーチェ
『思索』というのは、論理的に筋道を立てて物事を考えていくこと。つまりここで言う『思索者』とは、とても冷静沈着であり、他に支配されない、頑固とした意志の持ち主であり、それは決して『頑迷』ではない。
人物:ニーチェ
『相手を苦痛にさせたい』というよりも、『自分が相手を支配等して満足したい』ということ。その考え方が『悪意』ということになる。
人物:ニーチェ
ここで注意するべきなのは、『一つ多い、一つ少ない』という表現。従って、ここにあるのは最初から『一つだけの才能』ではない。
人物:ニーチェ
例えば、弁護士、警察、裁判官、軍人、政治家、これらの様なTHE・正義を掲げて生きている人間を前にしても、一切ひるむことなく、自分の意志を表示し、対等に渡り合うことが出来る規範意識を持ち、
人物:ニーチェ
『善悪において一個の創造者となろうとする者は、まず破壊者でなければならない。そして、いっさいの価値を粉砕せねばならない。』
人物:ニーチェ
『深淵(しんえん)』というのは、深い淵のことであり、崖の様なイメージを持ちたい。そこにかけられた、一条の綱だ。綱渡りのような綱だ。
人物:ニーチェ
『思うに』と言っている時点で、そこに信憑性はない。『そう思うんだけど』というところに正確性などないからだ。
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