自己/精神 名言
・NEXT⇒(10ページ目)
・⇐BACK(8ページ目)
人物:三島由紀夫
ゲーテはこう言い、『才能は静けさの中でつくられ、性格は世の荒波の中でつくられる。』ココ・シャネルはこう言った。『天分は、持って生まれるもの。才能は、引き出すものよ。』
人物:山本五十六
『人はみな、それぞれ与えられた天職がある。職分を如何に巧みに処理するかによって、その人の値打ちが決まる。何事に直面しても工夫し啓発して行く心掛けが必要である。』
人物:山本五十六
『若人の搭乗員中、幾人あるか知れぬやうな天才的な人間でなければ、著艦出来ないやうな航空母艦は、帝国海軍に必要ない。
人物:山本五十六
『自らを処する時は厳しく、他を処する時は寛大に。』これ、人間の絶対原則である。私も全くの同意見で、兼ねてから部下に言っていたのは、
人物:松下幸之助
『自省の強い人は自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを自己観照と呼んでいるけれども、自分の心をいっぺん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。』
人物:松下幸之助
『私は、人間というものは、たとえていえば、ダイヤモンドの原石のような性質をもっていると思うのです。すなわち、ダイヤモンドの原石は、もともと美しく輝く本質をもっているのですが、磨かなければ光り輝くことはありません。』
人物:松下幸之助
自分の人生と同じ人生を生きる人がいるということは、絶対にあり得ないことである。こうも『絶対』に近い事実も珍しい。双子ですら同じではないのだ。
人物:上杉謙信
ドイツの哲学者、ヘリゲルは言った。『あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずがない。』
人物:上杉謙信
例えばモンテーニュは、『賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。』と言ったわけだが、『生きられるだけ生きようとする人間』と、『生きなければならないだけ生きる人間』では、どういう違いがあるだろうか。
人物:上杉謙信
人を愛し、人に配慮し、人を敬うことが出来ず、自分本位にしか人生を生きれない人間は、我が儘な心に支配されている。
人物:上杉謙信
心に欲がなければ、義理堅くなれる。だが、心に私利私欲、煩悩があれば、『不義理』を行う。
人物:上杉謙信
赤ちゃんのあの純粋な行動を知っているだろう。わんわんと泣き叫ぶこともあるが、全幅の信頼を置いて、屈託のない笑顔で近寄ってくることがある。
人物:上杉謙信
普通、『驕り(思い上がり)』がある方が、人に物を教えるというイメージが浮かびやすい。
人物:上杉謙信
相手は人だ。大自然とこの世の摂理を相手にしているのではない。人であれば、それを畏れる必要はない。
人物:上杉謙信
人を育てるということは、どういうことだろうか。ブッダの言葉の超訳として私は、『歪んだ愛情は、文字通り人の人格を捻じ曲げる。』ここに『育児と教育は違う』と書いた。
人物:上杉謙信
『貪る(むさぼる)』とは、がっつく、ということ。『諂う(へつらう)』とは、媚を売って気にいられようと振る舞う事。
人物:上杉謙信
心が乱れるときは、言葉も乱れるのは当然だ。例えば、キリスト教の『7つの大罪』で考えるとなると、 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、色欲、暴食、強欲、
人物:上杉謙信
『堪忍』というのは、怒りを抑えて、人に寛大になること。『調う(ととのう)』というのは、過不足なく調達する、成立させるということ。
人物:上杉謙信
心が晴れ渡っているということは、何一つ問題事を抱えていない、健全な状態だ。身体で言ったら、疲労物質の乳酸が全く溜まっていない。パソコンで言ったら、ウイルスや重くなる原因のソフトが起動していない。
人物:上杉謙信
『悔い』というのは、ある種『執着』であり、そこにあるのは『潔さ』ではない。竹を割ったよう様な潔さ。これを人生にて表現することが、真の勇者の成せる生き様である。
人物:上杉謙信
階層が低い、下品だ、等という意味。心が賤しい人間は、もう、我が儘放題に振る舞うだろう。
人物:上杉謙信
『忠節(ちゅうせつ)』とは、変わることなく、忠誠を誓う態度。つまり、子や部下にこの忠節がなくなってきたら、親や上司は、下剋上や謀反を疑いだしていいということだ。
・NEXT⇒(10ページ目)
・⇐BACK(8ページ目)
スポンサーリンク
当サイト最重要記事
シェア
偉人の名前や名言を検索
おすすめ関連記事