山本五十六 名言/格言
山本五十六とは(画像)
日本の軍人(海軍大将)。男。山本五十六は1884年4月4日に新潟県で旧越後長岡藩士、高野貞吉の六男として生まれました。当時の名前は高野五十六。名前の「五十六」は出生時の父は親の年齢から取られており、本人はその由来を生涯大変嫌っていたと言われています。子供時代から負けず嫌いだった山本五十六は、甥である高野力の死を期に軍人を目指し、1901年に海軍兵学校へ入校します。
1913年には両親の死を経験し、同年12月には海軍大学校への入学を果たします。在学中に牧野忠篤の取りなしで旧長岡藩家老の山本家を相続し、名前が山本五十六となります。その後海軍では軽巡洋艦「五十鈴」の艦長などを務めたのち、海軍次官に就任。1929年には海軍少将としてロンドン軍縮会議にも参加しています。その際、山本五十六と山口多聞は軍縮案に反対し、会議を混乱させました。太平洋戦争時には第27代連合艦隊司令長官に就任し真珠湾攻撃を行いますが、この奇襲攻撃に関しては山本五十六の本意ではなく、宣戦布告の遅延を起因とする伝達ミスがあったために起きたと言われています。
1943年4月18日に前線視察の際にアメリカ軍の航空機によって搭乗機を撃墜され、戦死。士気の低下を避けるため、その死は一ヶ月以上秘匿されました。また公式では機上で銃弾を浴びて即死したと発表されていますが、死後の状態から搭乗機撃墜後もしばらく生存していたという異論も存在しており、最期に関する明確な状況は依然として明確になってはいません。
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山本五十六の言葉
カテゴリー:教育/愛情
個々各人が持つ稀代の個性にフィーチャーし、その芽を埋没させないように水あげの量を調整する。それこそが真のリーダーが背負うべく、責務、使命である。
カテゴリー:不幸/失敗
ここでいう『負い目』は『コンプレックス』とも言えるだろう。例えば、圧倒的世界ブランドの創業者、ココ・シャネルは『ひとりにならないためだったら、どんなにお金を使ってもいいわ』
カテゴリー:勇気/覚悟
『真の戦いはこれからである。奇襲の一戦に心驕るようでは真の強兵ではない。諸士は凱旋したのではない。次の作戦に備えるために、一時内地に帰投したのである。一層の警戒と奮励努力とを強く望む。』
カテゴリー:勇気/覚悟
戦争に最後まで反対していたというところが、山本五十六という人間の質の高さを表している。
カテゴリー:勇気/覚悟
軍備、食料、信頼関係、この3つさえ揃っていれば、国は安定する。その中で、一つ削らなければならないとしたら、真っ先に挙げられるのが『軍備』だ。本来軍など、必要ないのだから。
カテゴリー:勇気/覚悟
こと『男』と言うのならば話は早い。私の得意分野だ。そうだ。『漢』だ。我々は『男』に生まれ、『漢』に成るのである。
カテゴリー:勇気/覚悟
集団というものは、意志があるようで、意志が無い。デモやストライキや暴動を見てどう思うかだ。ネット上の炎上に便乗して総叩きし、 法的措置をちらつかされた瞬間に、蜘蛛の子を散らすように去る『匿名の人々』を見てどう思うかだ。
カテゴリー:勇気/覚悟
『命を使い切る』。 そんなことを念頭に置いて、我々はこの人生を生きることが出来ているだろうか。
カテゴリー:勇気/覚悟
『人生の窮極(きゅうきょく)は真(しん)たるべく、之(これ)に達するは誠(まこと)のみ。』
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