名言を自分のものにする

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あるのは”ライフバランス”だけ


まだまだこの本には、私と同意見が書いてある。
例えば、『ワークライフバランス(仕事と遊びのバランス)』
という概念を考え直すべき一幕である。
『仕事とは関連性のない”遊び”だけを楽しめて、
人生で取り組む真剣な仕事を、”耐えがたい重荷”として耐えなければならない、
と信じる理由はもはや存在しない。
仕事と遊びの境界が人為的なものだと気づけば、問題の本質を掌握し、
もっと生きがいのある人生の創造という難題に取り掛かれる』

著書にはこう書いてある。
社員は、もう何年も続けて耳にタコができるくらい私からこの考え方について
聞いているだろうが、
仕事=義務、窮屈、拘束

遊び=権利、自由、解放

このような短絡的な考えで『ワークライフバランス』の考えを持つ人の
何と多いことか。
実際にあるのは”ライフバランス”だけ。
つまり、『仕事』だろうが、『遊び』だろうが、
それらはすべて、『人生(ライフ)』というひとくくりでまとめられるはずだ。
『早く週末来ないかな!』という発想の延長線上には、
仕事を”耐えがたい重荷”と考えてしまう懸念がある。

もっと根本的なことを考えるのだ。
その答えが出た頃には、週末(遊び)だけじゃない。
平日(仕事)や、毎日が、生きがいのある人生に変わっている。
そう考えたら、あるのは”ライフバランス”だけなのだ。

『花の金曜日』?
『サタデーナイト』?
『聖なる日曜日』?
『月曜日の鬱』?
それは、人間が勝手に造り出した概念だ。
ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子といった四聖も含めた、
全ての偉人や天才たち、
王族、政治家、財閥、資産家、ヤクザにマフィアに仕掛け人、
そして、全世界の国民達。
彼らがどんなに偉人だろうが、悪人だろうが、
彼ら先人達が、この世のルールを造ってきた。
だが、
彼らの共通点はズバリ、『他人(自分ではない人達』ということである。
なぜ、他人が決めた概念に従って生きなければならないのか。
人生はたった一度しかないというのに。
それではあまりにも視野が狭い。
では、今一般に普及している常識や法律やルール、概念の数々が、
出来る前、
それ以前に生きていた人間達は、愚かな人生を送っていたのだろうか?
今の世の人間達が一番?
それとも、過去も、現在も、未来も、常に、
全ての生命は、儚くて、尊くて、虚しくて、そして自由?
仕事と遊びの境界は、人為的なもの。
彼らから貰うべきなのは、学ぶべきなのは、『大いなるヒント』だけだ。
自分の人生は過去未来永劫、唯一無二なのだ。

 

 


by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。


あるのは”ライフバランス”だけ

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