キリスト教の礎 イエス・キリスト
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つい先日、私の知人は類稀なる闇に堕ちた。彼には数々の忠告やサインがあったはずだ。だが彼は、それに聞く耳を持たなかった。過信したのだ。自分が有能で、知的であると装っていた。だから聞く耳を持たなかった。そういう人は、自分が無知で、無力であるということを知っている人より、虚しい。まずは自分の無知を認めることからすべてが始まるのだ。
スポーツもそう。勉強もそう。仕事もそう。この世のすべては、『自分にはまだ伸びしろがある』と思う心から、スタートするのだ。しかし、彼は違った。そして、まがまがしい金、権力、そして暴力に支配され、それによってすべてを失ったのだ。
よくある話ではないか。どこにでも転がっている話だ。映画であれば、1年に最低でも1度はそういう人間の人生が描かれる。彼の人生を通して何も考えられないのであれば、何をやってもダメだ。私は社員に、そう助言した。人間が求められているのは、『後始末』ではない。『前始末』なのである。
誰にでも心の中に『闇』はある。だが、同時に『光』もあるのだ。もし『闇』に支配されることが『弱き人間の典型』だと知れば、心の底からそれを理解すれば、たった一度の人生を無駄にしたくない人間のことだ、それに打ち克つエネルギーが湧いて出てくるはずだ。『膨張』と『成長』の違い、『ウサギとカメ』の教えの甚大さ、そして『無知の知』という知性の計り知れない恩恵を教えてくれた彼には、感謝しなければならない。
『刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。』
生きている限り、人生を諦めるな。たった一度の人生に、悔いを残すな。
ヨハネによる福音書 第12章。