攻撃的な人って、どうしてああいう態度を取るの?
動物も昆虫も、『擬態』をして天敵から自分の身を守ります。もしかしたらそういう人は、何か理由があってカモフラージュしているのかもしれません。
社会不安の一つ、
として、周りから『攻撃的な人間』だと思われることがある。それは、自分の無知さ、無力さを人に晒すことが出来ずに、 する。擬態するのだ。
動物も昆虫も、擬態する。擬態する理由は往々にして、天敵から身を隠すためだ。もちろん、自分のエサとなる相手にばれないようにするということもあるが、ここで共通するのは、前者の方である。考え方としては、擬態し、やり過ごす。ここが一致しているのである。
社会恐怖の人が自らの弱さを見せまいとする傾向は強く、家族にさえ何も言わない人もいる。『他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学』(紀伊国屋書店)にはこうある。
ある若い男性は、社会恐怖であることを隠すために、頭をスキンヘッドにしてパンクロッカーのような格好をするようになった。彼は言う。
『こういう格好をしていれば、誰も俺の方を見ようとしない。それでこっちも気が楽になるんだ。』
のである。
私がこれを見て思い出すのは2つの例だ。
一つは、『
』だ。外見が美しいのだが、生活態度が粗悪であり、無意味に乱暴なところがあった。必要以上に乱暴に振る舞い、男の前でも粗悪な態度を取る。
ある知人は、私の前でもそういう態度を取ると思う、と私に言ったが、もし私の前で取ったら単純に、それについての採算を合わせるだけだ。どんな手を使っても、
んだったら、相手がたとえ女子プロレスラーであろうと、親がヤクザだろうと100%相手が悪いに決まっている。私は、(やってみろよ)という具合に、彼女らと合流して遊びに出掛けることがあった。
確かに彼女は『無駄に粗悪』だった。このタイミングでそれをやる必要があるのか、というぐらい、妙に違和感のある『取り繕い』をし、攻撃をしてくる。
だが、私は(なんだ、これくらいなら難なく対処できるか)と思い、いつも通り、それらの粗悪な現実を水で受け流すかのようなやり方で、その空間からなきものにした。例えば、
ことに対し、
と言って、かけた瞬間に、CDを取り出して違う音楽に変えた。このようにして、『おそらく器の小さい人間ならここで衝突する』ということを考え、(彼女が一体何をしたいのか?)ということを念頭に置きながら、彼女の無意味に攻撃的な態度に対し、対応していった。
実は、私はその前にある事実を知っていたのだ。彼女が、
、という事実を。
つまり、彼女はそれ以来、特に男の前で、可愛くて隙のある女性を演じることに対し、強い反発感を覚えるようになったことは想像にた易かった。だから私は、そういうことも一つの参考にしながら、彼女と冷静に接していった。
彼女に散々自分勝手に悪態をつかれ、周りにいた人間も、本当に怒ったら怖い(怒ったところさえ誰にも見せたことがない)私との衝突を恐れつつ、自分達も振り回されながら、何とか目的地に着いた。
2時間ほどのドライブだっただろうか。私はその時間で、彼女のその悪態の陰にあるのが、わずかだが『
』であることを垣間見ることが出来た。
彼女の荷物を持つと、最初こそ悪態の延長線上の態度で、
と払いのけようとしたが、私がすかさず、
と言うと、彼女は何も言わず、バッグを私に預けた。
私はその時に確信した。彼女は『装っていた』のだということを。本当の自分をさらけ出したら、自分が恐れる現実に直面することになると。だが、心底の部分では本当の自分をさらけだし、
と思っているということを。
そして二つ目は、『
』だ。私の部下が、吃音症をベースとして、ADHD、ADD、LD、うつ病、回避性人格障害、あがり症といったような様々な精神的問題を併発させているような、そう判断してもおかしくないような生活態度を送っている現実がある。
彼は幼少の頃に事故で兄を亡くし、実際問題で、被害者一家の一人である。だが、それが行き過ぎて
に成り下がってしまい、数々の失敗を積み重ねてきた。
寝坊、嘘、捏造、誤魔化し、隠蔽、日常茶飯事だった。最近では、さすがに8年間という圧倒的な時間の指導の中で、さすがに顕著には現れなくなったが、本当に4、5年間ほどは、それらが常に顕著に現われるという、考えられない状況が続いていた。
私が彼によく注意する言葉に、こういうものがある。
つまり、順風満帆な人生を送っていないのに、
があるのだ。
例えばレジの人、受付の人、電話越しの人、(特に相手が女性の場合は顕著)に対し、少し高圧的な態度で、まるで
とでも言いたいかのように、声のトーンから話し方まで、私と喋るとき、あるいは仕事で普通の男性と話すときとは全く違う態度になるのだ。
その他にも、自動販売機のボタン、ゲームセンターにあるゲームのボタン、エレベーターのボタンなどを無意味に3,4回強く音を立てて押すときは、決まって周りに女性がいる。つまり、
であることが一目瞭然なのである。
これを考えた時、私は『順風満帆ぶるなお前は』と言うわけだが、その言葉は、
もしお前がそれでその女性をナンパしたとしよう。お前、その女性をエスコートするだけの甲斐性はあるのか?どこに連れていく?どうもてなす?何か特技はあるのか?持ち家は?金はいくら持ってんだよ。女性の前で見栄を張る前にやるべきことがあるだろう。』
という意味なのである。
そもそも、女性の前で強気に出て、少し粗暴な態度を取ること=男らしい、
とことを思い知る必要がある。大抵の女性は、見知らぬ、しかも外見的魅力が流行のそれとはまったく違う、30歳を過ぎたこの部下に対し、
なにこいつ無駄にうざいんだけど。
と思うに決まっているだろう。自分一人だけがそのような演技に酔いしれて、満足しているのである。
彼は、この社会恐怖の人の特徴のように、『自分が無知で無力であることを見抜かれたくない』という考え方を持っている。だから表層を取り繕い、『
』を演技し、順風満帆な人生を送っているように人に見せているのである。
私はその女性の件も、この部下の件も、また、例には出さないが私の家族全員を見渡してみても、このようにして『人格B』を演技し、本当の自分を包み隠す人というのは、
だという印象を強く受ける。
しかし、だとしたら単純に、『あがり症の改善に必要な『自信』とは』に書いた様に、自分に自信を持てばいいだけだ。
自分に自信が持てない?
だ。
等身大の自分で生きて、恥をかき、それを克服し、振り返ってそんな自分の足跡を見たときに、試練に屈さず乗り越えた自分を信じることができる。それが自信の正体だ。
それなのに、
のだ。それでは一生『自信』などつくわけがないだろう。