あがり症は一生治らないの?
あがり症を治す行動を取らなければ、あがり症は治りません。
先生
ハニワくん
今の自分を正当化しない
あがり症を治す行動を取らなければあがり症は治らない。それは当たり前のことだと思うかもしれないが、当たり前ではない。例えば、目の前にあるお茶を手を伸ばして取る。それは当たり前だと多くの人は言うが、
つまり、あがり症を治す行動を取ることが『当たり前』だと思っている人は、あがり症ではないのだ。あがり症の人は、
からその行動に移せず、あがり症でありつづけるのだ。
例えば私で言えば、小学生時代などを思い返すと、よく人前で緊張して、他人からなんと言われるか、どう見られるかを気にしていた。争いや、怒られること、高圧的な人の態度や、理不尽なことが大嫌いで、そういうことに直面するたびに、心がかきむしられるような感覚に陥り、
になった。
ただし、持ち前の『
』精神があったから、いつまでもくよくよしたり、自殺はしなかった。もしこれが根暗だったなら、そういうことがあったかもしれない。家庭内にあった宗教問題も相まって、私の心は常に鬱屈としていた。私はそういう、繊細で、複雑な、弱き人間だった。
だが、時間が経つにつれ、私のもう一つのポテンシャル、つまり顔が徐々に浮き彫りになっていった。それは『
』だ。男としてのプライド。この大きな規範が、私の人生の指針となり始めた。
先生
ハニワくん
- あがり症を治す行動を取らなければあがり症は治らない。
- あがり症の人は、あがり症を治す行動が容易にとれない、と思っているからその行動に移せず、あがり症でありつづける。
- 『それ以外には選択肢はなかった』という結論を導き出す認知、認識は間違ってる。
思考は現実化する
例えば、いじめられない人間。例えば、物おじしない人間。そのようにして、私の理想の人間像が徐々に固まってくるにつれ、私の人格も少しずつ変化していった。
最初はもちろん、人格を変え、態度を変えることによって自分が受ける精神的なものはストレスだった。だが、それはまるで、引っ越しや入学をしたときなどに受けるそれと同じで、別に
私は徐々に、小学生から中学生になり、そして男の道へと足を動かし始めた。
小学生の頃、先生にかなり高圧的な態度で、尊厳を踏みにじる虐待にも近い説教を受けた時、職員室で、悪友と二人、目に涙を溜めて下を向き、ただただ茫然とそこに立ち尽くしていたことがあった。そこにいた私には、言い返す気力も勇気もなく、本当に自分が悪い事をしたのでそもそも言い訳することも出来ず、そこに立ち尽くすことしか出来なかったのだ。
あれから20年。今の私なら絶対にそういうことにはならない。なぜかというと、
からだ。
それは、それまでの半生で『男の道』をひた歩いてきたからだった。その道の中で、自分が取るべき行動が、
- 言い訳をする
- 誤魔化しをする
- 無責任なことをする
- 目を逸らす
- 相手任せにする
ということを学んでいき、それを自分のものとするようになったのだ。
先生
ハニワくん
『思考の力を侮る人間は、人生に敗北する。』
『流動変化が避けられないことを知っているかどうかは、人間の運命を大きく変える。』
- 人間は思っている通りの人間になる。
- たとえ1日や2日で出来なくても、3年、5年と時間をかけて『再構築』していけば、変化する。
人は習慣を好む、なぜならばそれを作ったのは自分だから。
そもそもその怒られた経験だって、私と悪友が悪さをしたことがはじめの一歩だったのだ。そして、『あがり症は成功体験の積み重ねによって克服することが出来る』にも書いた様に、それらの『 』が自分の人格を象っていき、私は違う人格になった。
もし今の自分が『あがり症』というポテンシャルを持っていて、長い間それが治らず、悩んでいるということであれば、
だ。
アイルランドの劇作家、バーナード・ショーは言った。
自分の性格や人格は、『変わらない』と思っている。あるいは変わってしまうことで、『自分ではなくなる』と思ってしまっている。
だが、『自分』とは、『唯一無二の命』のことだ。
自問するべきである。
アインシュタインは言った。
間違っているのは他人でも、病気でも、理不尽なあの件でもない。
と認めた瞬間に、人の運命は大きく変わっていく。
先生
ハニワくん
先生
そう。まさにソクラテスがこう言っているよ!
ハニワくん
- 人は習慣を好む、なぜならばそれを作ったのは自分だから。
- 間違っているのは他人でも、病気でも、理不尽なあの件でもない。自分なのだ。