あがり症ってどうしてなっちゃうの?
あがり症の理由の一つに『他人から見透かされる不安』があります。他人に自分の欠点や異常性を見つからないようにひた隠そうとすると、あがり症のような症状が出ます。
Contents|目次
『他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学』(紀伊国屋書店)には、他人から見透かされる不安は、さらに細かく三つのタイプに分けることが出来ると記載されている。それが下記の3つである。
誰かと話をしている時に、
など『自分が欠点だと感じていること』を相手に見透かされてしまうのではないかと、不安になってしまうのは、
だろう。
案外多くの人がこのような悩みを抱えているわけで、逆に、これらの悩みに囚われていない、物おじしない、竹を割ったような気前の良さと潔さ、そして誠実さと勇気を持った人間の方が、探すのに苦労するはずだ。
しかしそこは『あがり症の改善に必要な『自信』とは』にも書いた様に、単純に自分に自信を持ちたい。あるいは、『あがり症であっても関係ない。という心構えを持つ対策』に書いた様に、違う視点から見ることが必要だ。
つまり、『他人から何を見透かされても何の問題も無い』という考え方をすればいい。その為には、『あがり症の心理『あがっていると思われたくない』等の対策』にも書いた様に、『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』ということで、彼ら、彼女らは別に、『気にするべき対象ではない』ということを悟ることが必要である。
これが決定的な事実であり、そこに焦点を合わせることが出来ればもうこの話は終わりなのである。
またあるいは、
だけだ。表裏的でもなく、偽善的でもなく、嘘や誤魔化し、捏造や隠蔽などを日常茶飯事に行うのでもなく、裏表のない、まっすぐで誠実な人間になればいい。それなれば、他人だろうが神だろうが、いくら見透かされたところで、びくともしないはずだ。
まさか『それはできない』と言うわけではないだろう。もし言うのなら、問題は間違いなくそこにある。そんな自分勝手な発言は、
だ。
私の部下にも、実に5、6年以上の間、『誠実になれ』というキーワードを助言してきたが、部下は『わかりました』などと、何の覚悟もない軽率でその場しのぎ的な返答をし続けた。結果、どうなったかというと、今、それまで長い間その助言を聞き流し、
を送ってしまっている。
誠実になれば、終わりなのだ。それが出来ないというのなら、あがり症だろうが何だろうが、治るものも治らない。