あがり症は病気なの?それとも個性なの?
あがり症は病気です。そう言い切る理由もあります。言い切った方がいい、という理由です。
あがり症、つまり社会不安障害(SAD)は、
である。だが、長い間、それは単なる個性であり、その人の性格だと思われていた。しかし、病気であるとわかった以上、何が違ってくるかというと、『 』ということだ。つまり、前向きにとらえていいのだ。
ただ、『他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学』(紀伊国屋書店)にはこうある。
まず『
』は、ある特定の状況(たとえば、人前で発言する、憧れの人に会う、口述試験を受ける)に置かれたときにのみ症状が現れる、比較的軽度な『社会不安』である。本人の人生に重大な支障をもたらすことはほとんどなく、
いっぽう、『
』の場合、あると特定の状況というよりも、本人の生活全般に影響を及ぼすものだ。ただしこれも『人前であまり目立つことをしたくない』という性格や気質のようなもので、苦しみもそれほど大きくなく、決して精神疾患とは言えない。
『
』になると、特定の状況に置かれるとパニックに陥るほどの激しい不安や苦しみを感じるため、医学上の精神疾患に分類される。
さらに、『
』の場合、その症状は生活全般に関わってきて、あまりの不安の強さから対人関係を回避する行動が習慣化し、そういう行為をむりやり正当化しようとしてしまう。そのせいで人生に大きな影響を及ぼすことが多いため、こちらも『社会恐怖』と同様に精神疾患とみなされている。
(中略)
これら4つのタイプの境界の線引きはあいまいだ。
ケースもあるので注意が必要である。
社会不安の人が受けやすい誤解(あえて装う別人格) – Inquiry. |
このように、『あがり症=精神疾患ではない』という意見をする者もいるが、どちらにせよあがり症という社会不安を放っておくと、それは重い症状へと悪化してしまうことがあることを考えれば、
のである。
これを下向きに捉えると、病気であるという事実でショックを受けたり、逆にコンプレックスを感じたり、あるいは『
(しっぺいりとく。自分が病気であるから自分は特別待遇を受ける資格があるんだ、等と考える発想)』によって捻じ曲がった考え方になるが、前向きにとらえると、『 』という方向で考えられるはずである。
従って、それまで長い間自分に(どうせ自分は…)という類の言葉をかけて自己暗示していた人は、
のだ。なんせ、『治る』のだから。それは性格じゃ、なかったのだから。
といった症状が出れば、
という負の連鎖を生みやすい。しかし、『あがり症に大きな影響を及ぼすセロトニンという脳内物質とその役割』にも書いた様に、これらの症状の原因は、脳内にある神経伝達物質のアンバランスによるものであると考えられているのだ。
だが、うつ病も、パニック障害も同じで、見た目ではそう顕著には他人との違いがないので見分けられない。通常と少し違っただけで『お前は病気だ』と決めつけるのは出来ないので、周りの人も、善意でそれらの人を病気と決めつけないのである。
ただし、
私は、部下が入社した頃、どうも彼が他の人とは違う個性があると感じていた。単純に、発想や行動が違うのだ。天才的な行動という方向でもない。例えば、アメーバのような生物がいて、びよーんびよーんと様々な方向に規則的に飛び跳ねているとする。そういう群れの中で、彼だけが をしていたのだ。その不規則性が目についたので、どうも違和感を覚えていた。
しかし最初は私もそれを
だとして考えた。私の会社を選んで入社してくれたこともあり、他人がどう言おうが、私は彼の味方になろうと思っていたことも手伝っていただろう。私は何とか彼の個性を活かし、笑えるような雰囲気づくりに努めた。
だが、どうもそういう
な接し方では、彼の が目立った。遅刻、寝坊、捏造、誤魔化し。そういうことが続いた故、上司として指導者として、当然の如く、まずはその基本中の基本を徹底的に指導した。その上で個性だなんだと、話が始まるからである。
私の言うことが、聞けないのだ。自分の偏ったやり方に固執していて、何度も何度も同じミスをする。二度や三度ではないのだ。30、50というあまりにも異常な数の失敗を積み重ねるのである。
ある日、彼が説教中に、
という異常な空間を作った。私が普通に問いかけをして、そのまま30分間黙り込んだのだ。
私は、最初は根競べをしているのかと思って、(俺に勝てると思うなよ?)と言わんばかりに、その無言勝負に抗い、相手が喋るまでこちらも一歩も退かない姿勢を見せた。それで30分という沈黙の時間が淡々と過ぎていったのである。
だが、どうもトイレを我慢することが出来なくなり、トイレに向かう途中、彼をひっぱたき、
と怒鳴りつけた。それは入社して2年、それまで何度も手をあげたくなるほどのことがあり、我慢してきたが、ついに我慢の限界が来て、(殴られないと思っているならむしろ殴った方が良い)という判断のもと、初めて部下に手をあげた瞬間だった。
しかし、それでも彼の異常性は全く治る気配がなかった。私は、どうも違和感を覚えた。小学生時代から知る彼を、周りの者もそうしていないし、私の認識でもそうじゃないから、『病気』だという考え方をしたことはないが、
脳に問題があるとか、発達障害であるとか、そういうような『ズレ』でもないかぎり、この異常性の説明がつかない。私はそういう目で色々調査するようになった。すると、彼のその態度は、『
』という病気の症状と、瓜二つであるとわかった。
私は、彼が本当に病気であるとわかった。その後、彼が疾病利得に支配され、(病気だから特別待遇でいいんだ)と勘違いしたことは想像にた易い。彼は病気であるとともに、浅薄な人間だった。自分の私利私欲を得ることに躍起になり、我を見失うことが多々あったのだ。
だがまあとにかくここで言いたいのは、『
ということだ。彼をもしあのまま健常者として接していたのなら、彼は単なる『足を引っ張る足手まとい』でしかなかった。