私の周りに、他の人と違う何か変な人がいて対応に困っているんだけど、どうしたらいい?
変な人だけでは漠然としすぎているし、そう言うあなたの信憑性も不明です。
しかし、もしかしたらそういう人は『病気』なのかもしれません。あがり症やうつ病、吃音症などは、病気だと気づかれないことがあります。
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『あがり症はれっきとした病気かそれとも単なる個性か』にも書いたように、あがり症も、うつ病、吃音症も、なかなか病気だとして認識されることがない。それゆえに、本格的な治療が出来ず、いつまでもその症状が改善されず、『個性だ』などとして誤認され、間違った現実がまかり通ってしまうことになる。
その記事に書いたが、私の部下も『吃音症』という病名を私も彼も、彼の家族も、彼の知人も皆
から、彼は病人ではなく、単なる『内気で無口な変わり者』であると認識されていたのだ。
私が彼を吃音症だと認識するまでに、入社してから2年ほどの時間が経っていた。だが、その前に彼とは小学生時代から会っていて、中学の後輩でもあることから、遊び仲間としては、長い付き合いがあった。
それなのに、その時間の中で彼のことを誰一人として『病人だ』と評価する人間がいなかったのである。我々の『仲間』のレベルが、
ということが露呈するわけだ。
つまり、
のだ。それがもうこの件を通してハッキリとわかったのである。それだけではない。私の知人には、『病人で だと宣言された者』がいる。
実はその知人は、友人と言ってもいいぐらいの距離の人間で、中学時代は、常に彼の家でゲームをしたり、カップラーメンを食べたりして遊んだ。私は学校をさぼるような人間だったので、彼も学校をさぼり、一日中家にいるということが、あまり気にならなかった。
同じ、家庭に悩みを持つ人間同士、気が合った。思春期には往々にしてこういうことがよくあるのだ。
だが、冷静に考えてみると、彼は『引きこもり』に近い部類に入る人間だった。『登校拒否』でもあったわけだ。私がつるんでいたグループと比べればおしとやかな方なので、彼に異常性があるとは全く思っていなかったが、それはコントラストの原理が働いているだけだった。
つまり、『
』ということなのである。
彼とあまり遊ばなくなってからしばらくすると、彼が病院でそう告げられたと言っていた。しかし、その後は自分で大学に行く勉強をしたり、仕事をして職場で責任者を任されたりと、積極的に行動しているようだった。
私も、彼の性格の良さを知っているから、それを告げられても何も驚かず、『別に大丈夫だろ』と言って、普段通り接した。
そう言ったことを覚えている。
彼の良かったところは、自分がうつ病であるということを
ところだ。うつ病というのは、それを認めた方がいいし、人をたくさん巻き込んだ方がいい。そういうことを無意識にやっている彼には、病気を自分で治癒する自然治癒の光の輝きが残されていたのである。
あがり症もこれら、うつ病、吃音症と同じだ。まずは、病気であると認めること。そうすればようやく、本格的な治療を始められる。まずは単純に、ある種諦めていた自分の人生を、生まれ変わることが出来るということについて、喜ぶべきである。そういった前向きでポジティブな考え方こそが、『
』を強くするのだ。