あがり症があることが気になっちゃって、コンプレックスで、生きるのが大変。どうしたらいい?
あがり症であっても関係ない。という心構えを持つといいでしょう。
先生
ハニワくん
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現実逃避をして病気から目を逸らすせばいいのか?
『あがり症はれっきとした病気かそれとも単なる個性か』に書いたが、あがり症、つまり社会不安障害(SAD)は、れっきとした病気である。
だが、長い間、それは単なる個性であり、その人の性格だと思われていた。つまり、『あがり症であっても関係ない』ということは、『あがり症であっても関係ない。それは個性なんだから変える必要はない』ということに繋がってしまい、そこにはあるデメリットがついて回ることになる。
私の部下は吃音症をもう8年間全く治る気配を見せていないわけだが、治そうと思わなければ一生治らないかもしれない。それは、『あがり症の心理『あがっていると思われたくない』等の対策』にも書いた様に、 ことが関係している可能性がある。
だから、あがり症であっても関係ないと思うということは、ある種病気から目を逸らすということで、現実逃避とも言えるわけだから、いつまで経っても状況が改善されず、そのまま一生が終わってしまう可能性があるということになる。
先生
ハニワくん
- 『治療をしないからいつまでも改善されない』というデメリットを理解する。
- 人間の性格を変えるには、『パラダイム転換』をすることが必要。
自己肯定から成功体験の積み重ねが始まる
では、なぜこのようなタイトルの記事にしたのだろうか。それは、前述したような
からである。
つまり、選択肢を広げたいのだ。根本治療は確かに極めて重要だが、例えば、人が『一週間
をするべきだ』と言われても、その時間を確保することは容易ではない。だが、実際には間違いなくやった方が良い。だが、それでも容易ではないのだ。この事実に着目したいのである。
ということで、そうした根本的なことを頭の片隅に置きながら、ここで考えたいのは『
』という考え方である。
例えば仕事だ。よく、配達の人が家を訪ねて来る。コンビニのレジの人はどうだ。彼ら、彼女らは、口数が多いのだろうか。それとも、
だろうか。
もし後者なのであれば、別にそこまであがり症というポテンシャルが自分の人生の足を引っ張ることにはならない。必要最低限、言うべきことがわかってさえいれば、
のだ。
根本治療へ足を踏み出すのが大きな勇気だとすれば、まずはこうした小さな勇気を持つことから始めるべきである。
自分にもできることがある、ということが積み重ねられれば、『あがり症は成功体験の積み重ねによって克服することが出来る』にも書いた様に、それらの成功体験が自分の人格を象り、やがて自信となる。その自信が更なる試練へと挑戦するための原動力となり、確かな一歩を積み重ねることが出来る。
まずは自己肯定だ。自分にもできることがある、ということを認識するのだ。
先生
ハニワくん
- 自己肯定から成功体験の積み重ねが始まる。