ミュージシャンやコメディアンのあがり症対策ってどういうものがあるの?
フランスで人気の毒舌コメディアンであり作家のピエール・デプロージュがこう言っています。
『絶望した人のマナーがユーモアのセンスを忘れないことであるのと同じように、本当に才能がある役者はあがることを忘れたりしない。それがね、芸事に対するマナーってもんですよ。』
『他人がこわい あがり症・内気・社会恐怖の心理学』(紀伊国屋書店)にはある、フランスで人気の毒舌コメディアンであり作家のピエール・デプロージュのあがり症についての意見は参考になる。
おや、そこの役者さん、あがり症を治したいんですって?ええ、うってつけの薬がありますとも。ついこの間、ある筋から秘密裏に手に入れた幻の薬ですよ。さあ、次の舞台までの半年間、毎日朝晩、2回この錠剤を一粒ずつ飲み続けてくださいな…。
さて、いよいよ大事な初演のステージに上がります。するとあら不思議、そのとたん、あなたは薬を飲んでいたことなんてすっかり忘れてしまうんです。それで結局どうなるのかって?…ええ、そうですとも、絶望した人のマナーがユーモアのセンスを忘れないことであるのと同じように、
ってもんですよ。
こういう視点を持つことも、あがり症対策にはとても重要になる。あるロックミュージシャン評論家が『あがる』ことについて、こう語っている。
『ミュージシャンにとっての『あがる』ってやつがどんなものか、ひとつ教えてやろう。あがっちまうとね、膝がマシュマロのようにふにゃふにゃになって、脳みそはヨーグルトのようにぐちゃぐちゃになり、心臓はリンゴ・スターのドラムソロのように激しく鳴り始めるんだ。
それは、ステージに上がる直前、楽屋代わりの小汚い部屋に置かれた薄汚れた鏡の前で、髪型や服装をチェックしたり、ズボンのジッパーを確認したりしてる時にやってくる。
さあ、いよいよステージだ。たとえそこが大ホールじゃなくて、うらぶれた飲み屋の一角であっても同じことさ。それはまるで、椅子の上の寝そべって泳ぎの練習をしただけで、初めて水に飛び込むようなもんだ。びしょぬれになって震えながらようやく生還出来た時には、もうろうとした意識のなかで、『なんとか死なずに済んだぞ』ってほっとするんだ。』
あがり症というのはこのようにして、確かに、急にどうしたらいいかわらからなくなるという一種の心神喪失状態である。だが、
ということを考えた時、別に、あがることに対して過度に意識し、罪悪感や劣等感を覚えることはないだろう。
例えば、『笑っていいとも!』などは、当時、一流芸能人しか出ることが出来ないといわれるほど、洗練された戦場のような場所だった。しかも生放送で、思っているより会場が狭いのである。
それに慣れない出演者が、思うように自分を出せず、物おじしない性格を自負するような強気な人間も、喋ることが出来ないことに対し、悩んでいた。そういう人が実に大勢いたのだ。あの舞台は、そういう戦場のような場所だったのだ。
だがその都度タモリは言っていた。
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演者の中には、脇汗がびっしょり染みてしまって見栄も体裁もないという状態になるまで一所懸命に働く人が多かった。つまり、活躍している人は皆実際の部分では常に脇汗をたっぷりかくほど緊張していて、必死に戦っているのだ。そして、そういう一生懸命で必死な人だけが生き残っていくのだ。ということを言いたかったのだろう。
仕事に対し、『成果を出したい、何とかして貢献したい』という
がある。そういう姿勢がない人間は、舞台に立つ資格はないんだ。というメッセージが込められていたのだ。