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自分をうつと認めないことは、うつ病である証拠だ

自分がうつ病かどうかってどうやって判断するの?

色々ありますが、例えば、自分をうつと認めないことは、うつ病である証拠かもしれません。

先生

自分に少しでもうつ病の傾向があるのに、頑なにうつ病だとは認めない。一体、どうしてそこまでして自分が正常な人間だと思い込もうとするんだろう?何か原因があるのかな?
更に詳しく知りたい人は、以下の記事を見るっす!

ハニワくん

信仰への執着

 

私の母親は、うつ病ではない。なぜなら、『私はうつ病だ』という発言をしたことを一度も見たことがないからである。つまり、

 

本当はうつ病かもしれないのに、うつ病ではない、と30年以上言ってないから、うつ病ではない、という事実がまかり通っている

 

のだ。だから私はそう言った。しかし、彼女の心の奥底にあるのは、ある種のうつ病である。

 

 

彼女はクリスチャンだ。そして、ここに対する執着心がすごい。『信仰心』ではない。執着心だ。私が彼女にこの言葉を使うのは理由がある。とてもここには書ききれない、長い長い話だから省略するが、彼女はそれに、『依存』している。

 

 

wikipedia『依存症』の異常な執着にはこうある。

第一の否認〜

「自分は大丈夫!」

「少し多めに買い物をしても、返せないほどの借金があるわけではない」

「タバコ吸っていても、自分は今まで癌になっていない」

「マリファナは害が少ないから、やっても大丈夫」

 

など、依存による有害性を過小評価・歪曲して、自らの問題性を否認する。「最近はパチンコに行く回数が減ったから大丈夫」などと、周囲の者すら「第一の否認」をすることもある。

 

つまり依存症の人間は、『自分が依存症であるという事実を決して認めない』どころか、自分の正当化に躍起になる特徴を持っているわけだ。

 

これはピタリ、私の母親そのものである。私が『嫌だ、嫌だ』と何千回断ったのにも関わらず、無理矢理クリスチャンにさせようとした。そして、

 

俺の為に(俺が非行をするのを止めたかったら)、やめろよ(信仰を)!

 

と言うと、母は淡々と、感情的な声でこう言った。

 

私は、やめられない。

 

これはもう、彼女にあるのが『愛情』などではなく、『信仰への忠誠心』でもなく、『信仰への執着』であることが露呈した瞬間である。

 

 

先生

たしかに、自分をうつと認めないことは、うつ病である証拠だって言っても、本当にうつ病じゃない人はどうなるんだ、ってことになるよね!本当にうつ病じゃない人は『自分はうつ病ではない』って言い切るわけだから!でも、そういうことじゃないんだ!
その可能性がありそうなのに、ってことっすね!

ハニワくん

先生

そう!著者の母親みたいに極めて重要な選択を迫られたとき、ここまでの執着を見せるってことは、心底に何か大きな穴が空いていると思うのが普通だよね!それを信仰で塞いでいなければ、虚無に押しつぶされてしまうのかもしれない。
こういうケースは、確かに雲行きは怪しいっすね!

ハニワくん

この章のまとめ
  • 依存症の人間は、『自分が依存症であるという事実を決して認めない』どころか、自分の正当化に躍起になる。

『人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。』

そして彼女は、その後の私の非行を止められなかった。当たり前だ。俺よりも信仰を取った。だったら、その力強い信仰の力とやらで俺を止めてみろや。私はそう思い、行くところまで行ったのである。

 

もし、彼女がこの家に信仰を持ちこんでいなければ、そしてそれを私に強要していなければ、私の家族は、一緒にご飯を食べることが出来ていただろう。だが、今はそれが出来ない。私は、それをしたいとは思わない。最悪の時期から10数年経った今でも、私は彼女らが食事の前に捧げる『神への祈り』を聞くと、反吐が出そうになる。これは、トラウマだから仕方がないことだ。

 

なぜ彼女はこうも頑なに信仰に依存しているのだろうか。なぜ、キリスト教なのだろうか。仏教、イスラム教、ヒンズー教、道教、この世には様々な信仰があって、たくさんの信者がいる。自分がキリスト教徒であることを主張すれば、他の信仰者との間に溝が出来ることに、何の違和感も持たないのだろうか。

 

 

『持てない』のだ。余裕がないから。そして、依存体質である弱き人間には限界があり、許容範囲は狭い。従って、『その他の人のことはよく知らない。だが、私にはこの信仰が必要なのだ』ということなのである。

 

私の母親は、うつ病ではない。なぜなら、『私はうつ病だ』という発言をしたことを一度も見たことがないからである。だが、本当に彼女はうつ病ではないのだろうか。弱いから信仰を支えにして生きているのだ。もしかしたら彼女が自分の弱さを認め、非を認められる人間であれば、状況は大きく変わっていたのかもしれない。

 

状況を悪化させることに繋がる『うつの否認』について、考えてみてもらいたい。

 

ニーチェはこう言い、

 

マルクスは言った。

 

先生

自分がうつ病だと認めることは難しいことではないよ!僕の知り合いも20代前半でそれを認めた。だけど、それを認めて改善点を直視して、正常な生活を取り戻したんだ!認知の歪みを治したんだね!
だけど、それを認めたくないっていう人がいるんすね!

ハニワくん

先生

色々な状況が重なってこうなるんだ!お金の問題、人間関係の問題、蓄積してきた経験、死んだ人との思い出。人間は複雑だからね!いや、『複雑に考えてしまうのが人間』なんだ!
うーむ!

ハニワくん

この章のまとめ
  • 人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。