どうしても悲観視してしまい、うつ気味になる。どうしたらいい?
うつになるのが悲観視が理由なら、楽観視すればいいだけです。
先生
ハニワくん
言うこともできるし、言わないこともできる
うつになるのが悲観視が理由なら、楽観視すればいいだけだ。
この記事は、
と併せて考えていきたい。
楽観視すればいいだけだ、と言って楽観視できるならそれにこしたことはない、と考える。つまり、と考えるわけだから、と考えないこともできる。しかし、
と言うこともできるし、
人間は、今出てきたように『過去の記憶が自分の全て』だと思っているところがある。朝起きて、目の前に広がっている光景は、昨日の記憶の延長線上だ。自分の名前、今日やるべき仕事、何時に起きて、何時に何をするか、誰に電話をするか、そういう『記憶』が一瞬で頭にわいてでてきて、そしてその延長線上の人生を生きる。
つまり、『過去に支配されている』のだ。過去、昨日までにしてきたこと、積み上げてきた経験に縛られている。だが、
先生
ハニワくん
- 悲観的な意見は、言うこともできるし、言わないこともできる。
自分からすすんで挨拶をする
試しに、環境をガラリと変えて、引っ越してみる。そして、全く違う人格を演じてみる。たとえば、普段はあいさつなど滅多にしないのに、近所の人や掃除をしている人にあいさつをしてみるのだ。
すると、高い確率で返事は返ってくる。こちらが笑顔であり、声にも迷いがなければ、尚のこと返ってくる。すると、
であることに気が付くだろう。
例えば私もあいさつなどする人間ではなかった。だが、世界遺産や登山といった、様々な観光場所や、特に自然の中ですれ違う人に対し、『遭難予防』の為にも、挨拶をするようになった。
私は普段こわもての様相をしている為、よく言われるのが『話しかけるなオーラが出ている』だが、そうして自分から元気よく、『返事されなくても構わない』という覚悟のもとに挨拶をすると、
相手としても、自然という閑静なその環境の中、あいさつを無視することは気分が悪いし、それにどこかで、急に現れた人間に対し、緩んでいた気を一瞬引き締め、緊張し、人としての何らかの責任感が揺り動かされていたが、
相手はあいさつされると迷惑かなあ。
という考えがあり、本当は挨拶をした方が気分がいい、と思っていたかもしれないが、挨拶をすると、
よかった!挨拶ができた!これで気分がいいや!
という具合に、とっても清々しいのである。
先生
ハニワくん
- 挨拶をしてみる。
『ピンチはチャンス』の意味をはき違えている
私はこれらの経験を通して、『
』ということがわかった。つまり、もし『悲観視』という選択肢を選んでいたのなら、『楽観視』という選択肢を選ぶことも、自分の意志で可能になるのである。
置かれている状況を『ピンチ』と捉えるのも、『チャンス』と捉えるのも自分次第だ。本来、『ピンチはチャンス』という言葉の意味も、『ピンチになれば、待っていれば後はチャンスが必ずやってくる。採算が合うようになっている。』という意味ではない。
『
』という意味なのである。
先生
ハニワくん
- 自分の人生で起きていることは、自分の働きかけが大きく関係している。
- 『悲観視』という選択肢を選んでいたのなら、『楽観視』という選択肢を選ぶことも、自分の意志で可能になる。
- 『ピンチはチャンス』という言葉の意味は、『ピンチになれば、考え方を変えなければその状況を打破できない為、自分が物事を成功させる考え方の人間になるチャンスだ』という意味。