巻き込まれ型うつってなに?
『巻き込まれ型うつ』とは、うつの周りにいる人が、その負のエネルギーに飲み込まれ、自身もその闇に毒されてしまうことを言います。周りにいる人が、巻き込まれてうつになるということです。
『うつと落ち込みは同じだが、うつはまるでブラックホールだ』にも書いた様に、うつのエネルギーというのは、まるでブラックホールのようだ。
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とは、今から6年以上も前に私が創った言葉だが、いまだにこの言葉の威力は失われていない。ネガティブな人は、まるでブラックホールのように、そこに自分も周囲も引きずりこもうとする。一方、ポジティブな人は、まるでビッグバンで宇宙が創造されたように、無の場所に有を生み出し、辺りを光で包み込む。
人間は、そのどちらの選択肢もある中で、ポジティブを選んだり、ネガティブを選んだりするわけだが、
であり、自分の意志でその発想をコントロールすることができない。出来るのであれば、うつになっていない。
無気力であり、やる気がそがれていて、気分が落ち込んでいる。心にぽっかりと穴が空いたような感じになり、何を言っても言葉が響かず、改善は永久に不可能のように思える。
私の部下が、まさにそういう状態だった。
他の人には厳しくはしないが、部下の場合は違う。自分の右腕にもなり、自分の側近にもなる資格がある私の部下に対しては、私は遠慮などしない。なぜ遠慮などする必要があるのだ。私は剣道をやっていた頃、師匠が私の隣にいた生徒を叱りつけた内容を忘れることはない。
剣道の『面』は、痛い。竹刀で頭を叩くのだから、そりゃあ打ち所が悪ければ、本当に頭を木の棒で殴られたような痛みがあることもある。だから、ある生徒は手を抜いたのだ。手を抜いて、相手に『弱い面』を打った。だが、師匠は練習を停止させ、その生徒にこう怒鳴りつけたのだ。
彼は『優しい』人間になりたかった。だが、なったのは『易しい』人間だったのだ。
つまり、私は部下が、かなり重い吃音症を患い、幼少の頃に事故で兄を亡くし、ADHDやLDに似た態度を改めることが出来ず、何を言ってもその言葉が響かない、という『うつ』のような生き方をしているのをこの目で見た時、
と言って、彼に全身全霊で指導をし続け、その手を一切緩めることなく、今、もう
まともに学校も行かなかった私が、8年の時間、決して屈しなかった。これがどれだけエネルギーのいることだかわかるだろうか。私のその稀に見るエネルギーの実力が少しは伝わったのだろう。彼はこの8年で、カタツムリの速度だが進歩しているのだ。
もしかしたら、彼は『うつ』だったかもしれない。だが、私がそれを認めなかった。あるいは、
だから何なんだよ。だから何してもいいんだな?俺の会社が潰れてもいいし、親の金を無心してもいいし、あるいは、
無気力で甘えたカスに育ってもいいんだな?
お前の将来の嫁が、お前が使えない馬鹿に育つことで金もなく、妙な仕事をすることになっても、あるいは貧乏で苦しい目に遭ってまともに食事が出来なくても、お前はそれでいいんだな?
幼少の頃に事故で兄を亡くしたことを一生引っ張り続け、被害者を演じつづけ、ある種のうつになり下がり、このまま人生を棒に振ることで、死んだ兄へ復讐でもするか。
それとも、兄の命を尊びたいのか。どっちなんだよテメエは。どちらにせよ自分の人生は自分で決めろや。俺はただ上司としてお前の処遇を『公正に』やるだけだ。
という断固とした姿勢を貫いたことで、
、根を上げ、負けを認め、道を強制的に改めさせられたのかもしれない。
『巻き込まれ型うつ』とは、うつの周りにいる人が、その負のエネルギー、ここでいうブラックホールに飲み込まれ、自身もその闇に毒されてしまうことを言うが、私がそのようなエネルギーを燃やし、それが異常なほどのものだったということの理由の一つは、
ということで、それだけ直面していた現実が、深い深い闇の光景だったということなのかもしれない。
私のやり方はかなり独特で、私はむしろ『こういうやり方が得意』なのだ。だから全ての人は私の真似が出来ない。私は鬼のように厳しく接する反面、彼と一緒に富士登山をしたり、日本の世界遺産を全て見て回ったり、儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』などの最高の偉人の言葉などを用いて、彼に助言をしている。
私はエネルギーの塊なのだ。だから『巻き込まれ型うつ』にはならなかった。他の人は、私と同じだけのエネルギーを燃やせないなら、私とは違ったやり方をしなければ、『巻き込まれ型うつ』になる可能性がある。