うつと落ち込みは同じ?
同じです。
しかし、落ち込んだだけでうつ病ということにはなりません。うつはまるで、ブラックホールのようです。
先生
ハニワくん
数十年という期間で蔓延し続ける負の力
などと併せて考えていきたいわけだが、『うつ』も『落ち込み』もほぼ同じ様な意味だ。『うつ病』や『躁うつ病』となるとまた別の印象がつくが、誰だってペットが死んだり、仕事で失敗したり、学校で恥をかいたらうつっぽくなるわけで、しかしそれは=うつ病ということにはならないことは知っているはずである。
と言っても過言ではないからだ。
人間の気分の正常な反応としての『落ち込み』と、治療を要する『うつ』は、外面的にはまずその
によって区別されているという。つまり、前述したような気分の落ち込みが、もし 続いたのであれば、これはもはや落ち込みの範囲を超えてしまっている。
まるで、
かのように、自分の心にぽっかりと穴が空き、それがふさがることなくそれだけの時間が経ってしまったように見える。
先生
ハニワくん
- 治療を要する『うつ』は、外面的にはまずその によって区別されている。
ブラックホールのような強い闇の力に引っ張られ続ける
私も『落ち込み』ぐらいなら日常茶飯事的にある。だが、30歳を過ぎた今では、様々な知識や経験も手伝ってか、例えばシーソーであれば、ちょっとそっちのネガティブな方向に感情が揺れ動いても、すぐにポジティブな方が重くなって、優位になり、ネガティブを打ち負かすことができる。
しかし、10代の多感な時期を思い返すと、やはりこの
、ということがよくあったのを覚えている。
その感覚をうまく表現しようとすると、
- 重りがつけられた様に動かなくなる
- 金縛りにあうかのように身動きが取れない
- 悪魔に取り憑かれて意気消沈としてしまう
などと色々ある中から、私がピッタリと来るのが、
- ブラックホールのような強い闇の力に引っ張られ続ける
というものである。
意志は失っていないし、悪魔も見えることはない。身動きは取れるが、体や心には常に闇があり、心は晴れ晴れしない。応急処置で出来ることは刹那的な快楽を追うことであり、しかしそれをしたところで、終わった後にはまた心に虚無が残っていて、一向に晴れることはない。
しかし、精神未熟という実際も手伝って、
が何であるかはわからない。考えても解決が困難だから思考力の低下が起き、そうすると行動は刹那的になり、悪循環になる。
だが、何をしても結局は心の中にある闇を取り除くことはできない。何事もないふりをして人生を前に進めても、どこかのタイミングでこれらの闇がその前に進もうとする足を引っ張り、元の位置に引き戻そうとする。
だ。それがある限り、人生を前に進めようとしても、引き戻されるだけだ。そして、実体がないから自分でも手術でもそれを取り除くことはできない。私は確かに、10代の頃、そういう感覚を覚えていたのである。
先生
ハニワくん
先生
- ブラックホールのような強い闇の力に引っ張られ続ける、うつの力を知る。
心底という深海に沈んだ宝箱
だが、私のブラックホールの正体は、
だった。実の両親が、二人ともクリスチャンだったのだ。そして私はクリスチャンではなく、今も、そしてこれからも一生そうなることはないのだ。そして両親も断固として、絶対にその信仰心が揺らぐことはなかった。それはもう頑なに、ときとして頑迷に。
私が
というと、母は、
と言い捨て、私と母の間には、目に見えない深い深い亀裂が走った。
私は
のだ。何をしても家に帰ればその問題を強制的に突き付けられる。その問題を見て見ぬフリをして人生を前に進めても無駄だ。
心は正直だ。心は、自分の人生の『最優先事項』が何かをよく理解している。だからあの頃の私は、掃除も勉強も、何も手がつかなかった。そんなことはブラックホールの解消と比べれば、
ことだったからだ。
しかし、今はどうだろうか。とてもここには書ききれない波乱に満ちた時間が過ぎた。父親も17歳の時に死んだ。
私の部屋や今、とても片付いている。むしろ、汚れている部屋を見たら腹が立つくらいだ。そして、宗教についての勉強もした。400冊の本を読み、この世にある500人の偉人の、およそ8,000ほどの言葉と向き合った。当然その偉人の中には、儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』がいる。
私は人生の絶望の淵で、カギを拾った。そのカギは、ブラックホールの解消に繋がる、
だった。
先生
ハニワくん
- 心は、自分の人生の『最優先事項』が何かをよく理解している。