うつ病で自殺する人ってどういう気持ちなの?また、自殺しないうつとはどう違うの?
うつ病で自殺をする人は、『認知の歪みが暴走した』と言えます。
自殺しないうつの人は、その認知の歪みが暴走するまでには至らなかっただけ、と言えます。つまるところ、認知の歪みがあれば矯正することが必要です。
先生
ハニワくん
Contents|目次
病人と捉えるか甘えと捉えるか
この記事は、
と併せて考えていきたい。例えば、『うつの人が抱えている問題解決が出来ない理由とは』に記載した以下の部分に注目したい。
『改善されるまでにかけた時間、労力、私がどれだけ喉を傷めて叱り続けたか、どれだけ殴りつけ、どれだけ将来の自分の子供の未来を想像させ、どれだけ重い制裁を課してきたか、ということを考えると、『よかったね』という言葉ではとてもすまされない、想像を絶する時間がそこにあった。』
私は、ある種のうつにかかっている部下に、実に8年指導をしてきて、彼に異常性があるということはこの身で思い知っているわけだ。事実、吃音症であるということは疑いようのない事実であり、『あがり症に大きな影響を及ぼすセロトニンという脳内物質とその役割』にも書いた様にセロトニンが枯渇すると気持ちはうつになるわけだから、吃音症、うつ病、あがり症のといった精神的な問題は、根本の部分で共通点があるということは明白。
例えば今出ているような『セロトニン』という脳内物質の枯渇である。これが心を安定させる役割があるのなら、これが枯渇しなければ症状は浮上しないということで、
- 食事の改善
- 運動の改善
- 睡眠の改善
- 喫煙の改善
- 飲酒の改善
- ストレスの対策
- SSRI等の投与
様々な対策を考えることが出来るわけだ。
このセロトニン対策は、吃音症である彼にも実に有効な手法だが、
、ということは、もう、ほぼ彼がうつ病だと考えても別におかしくはない。
事実、『逃避型うつの症状は精神的に追い詰められると発症する』に書いた様に、彼は逃避型うつとほぼ同じような行動を取るわけで、彼がうつ病と全く無関係であると断言する方が、むしろ無理がある印象が強い。
そして
ことから、『叱る、殴る、制裁を加える』などのキーワードが出てきているのである。殴ることも、『殴る方の手も痛いんだ』という事実を盾にして、彼をひっぱたくのである。
だが、それは
から出来ることでもあるのだ。彼自身が、『自殺する勇気はありません』などと言っているので、逆に私はそこを逆手にとって、
と言って、彼を殴っているわけだが、それが成り立っているということは、彼が『自殺をするまで重いうつにかかっているわけではない』ということが浮き彫りになるのである。
先生
ハニワくん
- 虐待としつけは違う。
なぜ自殺をし、なぜ自殺をやめるのか
私は基本、うつになる人がある種の『甘え』であり、『浅薄さ』が根幹にあると思っているから、全ての人が内省、内観をして、自分の心と向き合って、ブラックホールを解消すれば元に戻る、と『うつと落ち込みは同じだが、うつはまるでブラックホールだ』の記事でも書いているわけだが、
『中には相談もせずに自殺をしてしまう人もいる。重く、複雑にこじらせている人もいる。だから、
だろう。』
ただし、見落としてはならないのは、自殺をする人が自殺の名所に行き、『自殺をするな。考え直せ!』という看板を見ても確かに効果はないが、
という事実についてだ。
つまり、(絶対に死ぬしかない)と思われるほど心が複雑に絡まった人であっても、その考えが改まることがある。この事実から目を逸らしてはならない。
先生
ハニワくん
先生
ハニワくん
- 一辺倒にうつの人を『甘えた人間』と切り捨てない方がいい。
- 自殺というのは『認知の歪みの暴走』とも言える。