うつの人が『死にたい』と言っても無視していいですか?
無視してなりません。その後、本当に死んでしまうというケースがあります。うつの人は周りの支えが本当に重要になります。
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『うつ病で自殺する人の気持ちと自殺しないうつ』にも書いたが、私が、幼少の頃に事故で兄を亡くした経験を持つ、『軽いうつ』である部下を厳しく指導することができる理由の一つには、『自殺をすることはないだろう』という前提があるからである。
彼自身も『自殺する勇気もない』と言うし、彼の『私利私欲を満たすときには積極的になる』という子供のような態度からも、確かにその通り、彼は死ぬという『自分にとって不利益である』行為に走るまではしないだろう、という考え方がある。
だが、中には相談もせずに自殺をしてしまう人もいる。重く、複雑にこじらせている人もいる。だから、
だろう。と記事には書いたのである。
うつの人は、『死にたい』という言葉を口にすることがある。それは、私や私の部下と比べても、あり得ない言動である。私などは部下がそう言えば、
と言って、
という、怖いメッセージを突きつけ、
だが、重いうつを患う人の中には、本当に死のうと思ってそう発言する人もいるので、注意しなければならない。実に、自殺者の75%が死ぬ前に、
などと発言しているという。従って、うつの人が『死にたい』と言っても無視する。それは間違いなのである。
『うつの人は感情をコントロールできない』にも書いたが、 の例を見たい。魚が最初、陸に上げられてピクリとも動かなくなった。自分の本来いるべき場所から引きはがされ、生きる気力を失ったのだろうか。そしてその後、(生きたい!)と強く願ったのか、急にピチピチと暴れ出して跳ねた。この部分だ。
普通、釣りなどで魚を見ても、活きが良い魚は飛び跳ねて生命力を示す。だが、ピクリとも動かなくなった魚は、死んでしまっている可能性もある。それは、
なのかもしれない。
三歩進んで二歩下がるのがうつの改善のペース。だが、その初期設定を知らない人が『二歩下がる』という事実に直面したとき、(もう二度と治らない)という絶望的な気分に陥って、自殺を考えてしまう。まるで魚が、(もう二度と水には戻れない。生きるのは諦めよう)と思って、気力を失ってしまうかのように。
水槽に入れられて一命をとりとめる活きのいい魚も、その後、人間に食べられてしまうのだ。また、かといって海に戻された魚も同じで、すぐに違う魚に食べられてしまったり、どのみち必ず死んでしまう運命だ。
活きのいい魚を見ていると、私はある種の生命の矜持を感じる。自殺しようがしまいが、人は必ず最後には死ぬのだ。どんな人間であろうと、偉人も天才も聖人も、もれなく例外なく、必ず死んできた。自分もそれと同じなのだ。自分一人じゃないんだ。
たしかにどうせ死ぬ。だが、