仏教の開祖 釈迦(画像)
Contents|目次
内省
人と張り合うということは、『見栄』に支配されているということである。私は見栄に支配されている人間がトラウマに近いほど敏感だからよくわかるが、何と無様で、醜いことだろうか。彼ら自身が醜いと言っているのではない。『人を憎まず行いを憎む』。見栄に支配されている人間の様が、無様で醜く、愚かなのだ。
相手と張り合い、見栄を張り、意見を言い返し、してやったりと思っている人の顔は、ドヤ顔で充満していて、自分が賢く、偉く、強く、たくましく、そして勝負に勝ったと勝ち誇っている。
だが彼らは理解していない。『表層的な勝利』に執着するあまり、その行為が『実際の価値』を著しく落とし、後に引く『ツケ』となって自分の人生に重くのしかかるということを。
ブッダは、言い張ることの成果は所詮、
- 嫌がられること
- 褒められて自慰すること
のたった二つだけだと言う。つかの間の『自慰行為』をそんなにも求める彼らは、偉く、たくましいのではない。虚しいのだ。それを考えたら、もうやめるしかないだろう。『自分は偉くて強い』と主張するたびに、『虚しい存在』に成り下がる、パラドクス(逆説)が働いているのだ。それに気づけるかどうかで、あるいは負の連鎖から抜けることも容易になるだろう。
参照文献
仏典
経集918。
関連する『黄金律』
『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』
『どれだけ生きるかではなく、いかに生きるかが重要なのだ。』
『この世には、自分にしか歩けない道がある。その道を歩くのが人生だ。』
『「生きる」ということの本当の意味とは。』